the end of an era

You are free to be who you are.

菅井友香卒業のいま、欅坂46を語り直す

 今日11月9日は、欅坂46・櫻坂46の菅井友香の最後のステージだった。

 東京ドームというのは、大概決まってお別れの場所だ。欅坂46の東京ドーム公演から3年、櫻坂46が東京ドーム公演をするとわかったとき、なんとなく、それが何かしらのお別れの場になることは想像がついた。そういうわけで、東京ドームのチケットを2日分取って、何かのお別れをしにいくことにした。結局、大方の予想通り、それは菅井友香とのお別れだったわけだ。でもよく考えてみると、お別れはそれだけではないはずだ。

 2020年7月16日、菅井友香の口から欅坂46との「前向きなお別れ」が告げられ、2020年10月13日をもって、欅坂46というグループは幕を閉じた。もちろん、通称「123事件」と呼ばれる複数メンバーの卒業・脱退があった時点で、グループがこのままの形で存続することは難しいだろうと思っていたが、メンバーも、我々ファンも、欅坂46から本当の意味で未練なく卒業できたわけではないのだろう。

 それから、折に触れて欅坂46の楽曲が「解禁」されることは何度かあった。1期生の卒業セレモニーや卒業コンサートがその機会にあたる。もちろん今日も何曲かの欅坂46楽曲が披露された。そこには欅坂46という「思い出」を最後に振り返りたいという思いを感じずにはいられない。「欅坂46の」ファンも、その日を待ち続けているわけだし、筆者自身もその可能性があるのならと思って、理佐の卒業コンサートや、W-KEYAKI FES. 2022 4日目(振替公演2日目)、そして昨日と今日の東京ドームへ赴いた。

 W-KEYAKI FES.が続くとしても、そこでの欅坂楽曲の存在は薄れていくだろうし、1期生の卒業セレモニー・卒業コンサートという特別な場も、どんなに多くてもあと5回だ。それに、櫻坂46は、欅坂46とは少し毛色を変え、そこに欅坂楽曲が入り込む余地がないほどに完成された世界観でパフォーマンスを表現できるグループになっているということを、昨日まざまざと思い知らされた。*1

 その意味で、欅坂46と本当に「お別れ」しなければいけない日は来るし、もしかしたら「お別れ」は今日だったのかもしれない。きちんと自分の胸の内に、欅坂46を思い出としてしまっておくために、欅坂46とは、ファンにとって、メンバー*2にとって、社会にとって、そして筆者にとって、どういう存在だったのか、解散から2年経ったいま、振り返っておきたい。

 

欅坂46の現在

 いま振り返るからには、まずはじめに、欅坂46とそのメンバーの現在を確認しておかなければならない。欅坂46そのものは、櫻坂46に改名し、活動を行っている。1期生メンバーは今日で残り5人となっただろうか。櫻坂46は、その曲の歌詞やダンスに欅坂46の面影を残しつつ、成長した姿を見せている。

 絶対的エースだった平手友梨奈は、脱退後、女優として活躍している。賛否両論あることは承知しているが、演技力については、かなり高く評価されていると言えるだろう。ただ、欅坂46時代に述べられていた「天才」性というほどのものがあるかというと疑問符がつく。一方で、欅坂46時代のイメージであった無口さ、「多くを語りたくない」あるいは「誤解されたくない」といった感覚とは対照的に、バラエティやオフショットでは楽しそうなトークや笑顔を見せるようになった。*3

 欅坂46の「裏センター」であった長濱ねるは、卒業後しばらくして、タレントとして復帰した。特に、雑誌でのエッセイ連載や、本を題材にしたラジオ、音楽番組のVJなど、文化に関わる仕事に積極的に向かっている印象が強い。中身の賛否はともかくとして、若者のひとりとして、価値観や考えを発信する、そういう役割を担っている。そして、あまりそういった素振りは見せないが芯のある、意志の強いひとでもある。そういったところに、欅坂46の面影が少し見られるのかもしれない。

 残り13人を全員語ると長くなってしまうが、女優、YouTubeSHOWROOM活動、インフルエンサー、クリエイター、モデルなど、様々な方面で活躍している。

 この場で話題にすることが適切かどうかはわからないが、志田愛佳が銀座のクラブで働くことが、10月頭に話題になった。筆者がこのニュースを見た第一感は、驚きというよりも呆れに近い感情であった。たしかに、欅坂46の価値が下がるという考えには頷ける部分も多いが、よく考えてみると、ある意味では欅坂46という「経歴」に縛られず、元メンバーが多方面で活動していることが、「君は君らしく生きていく自由がある」に始まる欅坂46の歌詞世界を体現している証とも言える。*4

 

 「櫻坂46」ではなく「欅坂46」というグループの現在についても振り返っておきたい。欅坂46がその看板を外した今でも、アイドルの楽曲に対して「欅坂っぽい」という評価がなされることがある。そこには、「乃木坂っぽい」や「日向坂っぽい」とは異なり、ある程度明確な基準が存在するように思う。その基準としては、大人や社会に対する反抗的な歌詞と、アイドルソングではあまり見られないダークな曲調、主題となる数名だけを強調するダンスといったものが挙げられるだろう。そして、デビュー曲であり、代表曲である『サイレントマジョリティー』は、発売から6年半経った今でも、アイドルグループの枠を超えた曲として、そして、支配と画一化に対する抵抗を象徴する曲として、多くの人の記憶に残っている。

 その意味で、「欅坂46」とは、かつての「尾崎豊」のように、大人や社会に対する反抗のカルチャーアイコンであり続けている。

 

ファンと欅坂46

 そして、冒頭で述べた通り、かつての欅坂46のファンも、もう一度欅坂46を見たいと思っているのだろうと思う。櫻坂46のライブでも、いや日向坂46のライブでさえ、欅坂楽曲が披露されたときには、ペンライトの振りに気合いが入るし、きっちり振りが揃うのだ。昨日今日と緑一色に、そして赤一色に染まった東京ドームを見ると、自分自身を含めて、本当に欅坂46への未練があったことがよくわかる。

 とはいえ、月日の流れは早いもので、先日、『この歌詞が刺さった!グッとフレーズ』という番組で『サイレントマジョリティー』が紹介された際には、「20代に刺さった曲」であったことは、欅坂46の「僕」に思いを寄せていた人々が、それだけ歳を取ったということを実感させられる。

 ファンの中には、ときどき、「欅坂46は青春だった」という表現をする人たちがいる。欅坂46に『大人は信じてくれない』という曲があるが、何かもがいて生きていこうとするときに、その気持ちに大人はなかなか寄り添ってくれない。青春とは、その意味では孤独なものなのだろうと思う。そんな孤独に寄り添ってくれるのが欅坂46であり、その歌詞世界の「僕」だったのだろう。

 とはいえ、欅坂46の「僕」のように生きていくのは、そう簡単なことではない。香港の周庭や、NGT48の山口真帆のように、欅坂46の歌詞に背中を押され、自分の意思を貫いて生きていこうとした人たちもいる。だが、筆者を含め多くのファンは、「僕」に背中を押されながらも、どこかで意見を言うのを躊躇したり、主張を曲げたりしてしまったことがあるだろうと思う。

 日向坂46の8枚目シングル『月と星が踊るMidnight』*5の歌詞にあるように、「嫌だった世界」に「目を瞑り生きることに 抵抗なくなっ」ていってしまうのが普通なのだと思う。

 とはいえ、「軽蔑していた」大人になりつつある「僕たち」*6が、「物分かりよくなって 流されたくはない」「まだまだ諦めない」という意思を持って生きていくように、欅坂46の「僕」の意思が、我々ファンにも形を変えて残っていると思いたい。*7

 そして、自分たちが欅坂46の「僕」になれなかったとしても、孤独に寄り添ってくれた「僕」は、青春の思い出であり、孤独を感じたときには、ライブ映像や音楽を聞けば、いつでも寄り添ってくれる、いわば「帰ってこれる場所」であり続けているのだろう、とも思う。

 

欅坂46と「21人の絆」

 ここまで、欅坂46を語る中で、2期生に焦点を当てることはできていないし、そのつもりもない。欅坂46の「21人の絆」という言葉について異論があることは理解しているが、欅坂46は様々な事情で「21人」を特別なものとしてきたし、そうせざるを得なかったのは事実だ。まず、21人になってから2期生が実質的に加入するまでの期間が、欅坂46の全活動期間の多くを占め、CDシングル表題曲としては、その21人以外が参加することはなかった。これにはいくつかの事情があり、長濱ねるの特別加入により「けやき坂」のオーディションが行われたこと、そして5thシングルでの漢字とひらがなの合同選抜の話がなくなったこと*8、また同時期にひらがな単独での2期生オーディションが開催されたことにより、2期生オーディションまでの時間が空いてしまったことがある。

 あくまで憶測だが、欅坂46が物語を紡ぐ時間もなく世間に知られてしまったことで、欅坂46というグループのアイデンティティーを、21人という形に求めざるを得なかったという部分もあるのだろう。そして実際に、欅坂46の21人は、歌詞世界を表現することを至上命令として求められ、さらに言えば歌詞世界を体現することまでも求められつつあったのかもしれない*9

 実際に菅井友香は、今泉佑唯の卒業のときに「21人の絆」という言葉を使っているし、1期生には「つらい時期」があったことを最近よく話すようになった。それこそ昨日だって、『世界には愛しかない』のポエトリーをやったのは全員1期生である。欅坂46の21人には後付け的であるとはいえ、特殊性があるのだろうと思う。

 

筆者自身と欅坂46

 筆者自身、かつて、社会で生きていくことを認めてもらえなかったとき、寄り添ってくれたのは、救いだったのは、間違いなく欅坂46だった。そのメッセージを、自分の身体と人生を懸けて届けてくれたメンバーには感謝の念しかない。そんなメンバーを英雄的に語るのはよくないのかもしれないが、たしかにそういう側面はあるし、だからこそ21人が特別なのだと言いたくもなる。

 たしかに、周りから見ればおかしなところがあるのかもしれない。筆者だって、欅坂46というグループが「宗教」と言われても仕方ないということは、今になって振り返ればよくわかる。とはいえ、得てして青春とはそういうものだ。

 あの頃から数年経って、筆者も、なんとか社会で生きていくことができるようになり、長濱ねるのファンとして長崎に足繁く通ったり、日向坂のライブに通ったりするようになった。当時の欅坂46のファンも、平手を追いかけたり、櫻坂を追いかけたり、はたまた普通に社会で生きていたりするのだろうと思う。でも、ふとした時に帰ってこられる場所として、卒業アルバムのように「欅坂46」はたしかに筆者の中に存在する。

 歌詞世界の「大人」と言われるような年齢や立場になった人間として、あの時経験したことを胸に生きていくことが、その「青春」を経験した人間の役割なのかもしれないとさえ思う。*10

 

さいごに

 そして今日は、菅井友香のラストステージだった。彼女は、欅坂46のメンバーでありながら、時に運営サイド以上に矢面に立ち続け、平手とは違う意味で自分の人生を懸けて、我々にメッセージを、救いを届けてくれた存在であった。それは同時に、本当に「僕らしく生きていく」ことができているのか、不安になる存在だということでもあった。

 我々は欅坂46に救われたのだから、次は彼女が幸せになるべきだし、なってほしい。単純に努力が報われてほしいというだけの「幸せになってほしい」ではなくて、本当に苦労している恩人に感謝を込めた「幸せになってほしい」である。

 

 ありがとう、菅井友香。ありがとう、欅坂46

 そんな思いを込めて、この文章を捧げたい。

 

 これだけの長い文章を終演後に書けるわけもなく、ご想像の通り大部分を事前に綴っていたのだが、ここ2日、東京ドームに行った結果、気持ちが抑えきれなくなってしまったので、ここから先は、感情のままに綴らせてほしい。「あの曲」に気持ちを持っていかれて、なんとか戻ってこようとしている。戻ってくるために文章をしたためているような状況であることを断っておきたい。

 自己を社会に承認させることは、現代日本における一種の「戦争」だ。本物の戦争が起きている最中に言うことではないかもしれないが、この「戦争」で人が死んでいくのは紛れもなく事実なのだ。菅井友香も今日、1期生を「一緒に戦ってきた」仲間と表現していたわけで、その象徴としての21人には、まさしく「英雄」だったと言うほかない。その「戦争」こそが「青春」だというのなら、それは劇的で、代替できないもののはずだ。

 平手が欅坂46について何かを語ろうとしないのは、本当に凄惨な体験であり、語ることでまた何かを起こしてしまうからなのかもしれない。21人の「英雄」とは同時に、そういう運命を半ば強制的に背負わされた21人でもある。そんな歴史を、「心の片隅に」なんていうありふれた言葉で片付けたくない。必ず覚えていなければいけないのだ。

 さて、その「戦争」で、我々は社会を変えられたのだろうか。欅坂46は社会を変えられたのだろうか。まだ筆者自身にはわからないが、変えられたのだと信じたい。だとしたら、それを語り継ぐことが使命である。今泉佑唯の引退発表があったばかりだが、ああいうことに対して、きちんと声をあげることこそが、我々に課された使命の一つなのだろうとさえ思う。

 そして今日、菅井友香が卒業するに際して、『不協和音』という楽曲を披露することを選んだことに、本当に感謝してもしきれない。魔曲とまで呼ばれたこの曲は、その「戦争」を象徴するような曲であって、欅坂46が、平手友梨奈が、自らの身体を犠牲にしながら届けてくれた曲である。この頃には菅井自身、つらい記憶があるのだろうと思うし、披露しない選択肢だっていくらでもある。どんなに商業的に必要とされても、センターに立つ人間が望まないならやるべきではない。それを多くの人がわかっている。それだけの魔力のある曲である。

 たしかに、「欅坂46の」不協和音を聞けるとしたら、そのチャンスは今日で最後だった。筆者も記憶を半分飛ばしているのだが、イントロが流れた瞬間に、地響きや呻きとでも言うべきなのだろうか、そういう歓声が上がったのは耳に焼き付いている。曲披露後の聞いたこともない音量の拍手を聞けば、この曲に、どれだけの人が救われてきたかがわかる。筆者もその一人だ。

 そんなファンの気持ちを知ってか知らずか、いや知っていると信じているが、最後にこの曲が聞けたことが、見られたことが、本当に救いなのだ。

 

 改めて、7年間ありがとう。欅坂46はもう戻れない場所なのかもしれないけど、確実に世界を、我々を変えてくれたのだと信じて。

 

*1:昨日の1日目がフルの演出で、今日は時間の都合で演出が一部カットされていたはずだ

*2:以下、特に断りのない限り、卒業・脱退しているかどうか、またその時期にかかわらず、(漢字表記の)欅坂46に所属していたことのある人を「メンバー」と呼ぶことにする。

*3:個人的には、演じる役と自分自身が分離されたことが大きな理由ではないかと思う。欅坂の歌詞世界の「僕」と一体化しようとしていったことが、彼女の精神にどれだけ影響を与えたのかと考えると、感謝の念を感じずにはいられない。

*4:その意味では、我々は欅坂46のメンバーを支配しようとする「大人」の側になってしまったのかもしれない。

*5:本題から逸れるが、おそらくこの曲の歌詞はドキュメンタリー映画『希望と絶望』に対する、秋元康なりの日向坂メンバーへのアンサーでもあるのだろうと考えている。(欅坂46『避雷針』のように、秋元康が、メンバーへのメッセージを歌詞によって届ける例は多くある。)

*6:欅坂46の「僕」と『月星』の「僕たち」は明確な対比であって、仲間の存在さえ危うい欅坂46の孤独さを、より際立たせている

*7:この意味で、欅坂46の歌詞に思い入れが強いであろう齊藤京子のセンター曲をこの曲にしたことは納得がいく

*8:合同選抜案の存在と、実際に合同選抜が実現しなかったこと自体は現在の日向坂メンバーがラジオで語っているのでおそらく事実である。その理由については一部で報道されているものもあるが、ここでは触れないこととする。

*9:求めていたのは社会であり、ファンであり、周りの作り手であり、メンバー本人たちなのだろうと推測する。

*10:念のため補足しておくと、多くの人々に青春や古巣という場所は存在するのだろうと思うし、それが我々にとってはたまたま欅坂46だったというだけの話なのだと思う。