the end of an era

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Seed & Flowerと選抜制度との闘い(櫻坂46・日向坂46への選抜制度導入に際して)

2023年9月18日、櫻坂46の7thシングルのフォーメーション発表があり、選抜制度を導入することが同時に発表された。そして、2024年2月26日、日向坂46の11thシングルのフォーメーション発表があり、こちらも選抜制度を導入することが同時に発表された。

欅坂46のオーディション合格者が22人であったことから始まった、Seed & Flowerと選抜制度との9年間の闘いは、2024年2月26日、幕を閉じた。おそらく運営から語られることはないであろうこの闘いは、大人数グループアイドルのありようそのものを巻き込む、大きな時代のうねりとともにあった。その闘いの一部始終を、「アイドル戦国時代」とその後の時代を追いかけた人間として見える限り書き残しておきたい。

 

なお、以下では、複数のアイドルグループについて扱うため、各グループ公式の表現に関わらず、一般的なアイドル用語として「シングル表題曲等の主軸となる楽曲を歌唱するメンバーや、そのメンバーを選ぶこと」を「選抜」と定義し、「シングル表題曲等の選抜に選ばれなかったメンバー」を、乃木坂46での表現を用いて「アンダー」と称する。*1

(これから先の文章は、アイドルグループの運営母体である会社や、いわゆる「運営」と総称される運営委員会が辿ってきた道を、その歴史と当時のアイドル文化・ファンの反応などをもとに、多くの推測を交えて綴る文章であることを断っておきたい。)

乃木坂46までの選抜制度の歴史

アイドルグループにおいて、シングル表題曲を歌うメンバーを選ぶ「選抜」というものが、大々的に制度として導入されたのはAKB48からのはずだ。

インディーズの2ndシングル「スカート、ひらり」から、当時の在籍メンバー全員がシングル表題曲を歌うことは一度もなく、メジャーデビューの時点でメンバー数は36人を数えた。それ以降もメンバーが増えていったAKB48は、シングル表題曲を歌うメンバーを「選抜」しなければならない状態であった。さらには、そのメンバー数の多さから、発売されるCDシングルに歌唱曲のないメンバーも多く発生した。

「会いに行けるアイドル」というコンセプトで、劇場という場所を持って始まったAKB48は、当時のアイドルで行われていた握手会を活動のひとつの中心に据え、メンバーを増やし続けた。そしてSKE48NMB48を始めとする姉妹グループを作ることによって、総体としてのAKBグループは、さらにメンバーを増やして成長していった。握手会などの特典を中心とするマネタイズ戦略は、グループの名前を冠して揶揄的に「AKB商法」と呼ばれることもあり、批判の的にさえなった。*2

当時は、ハロー!プロジェクトも25歳定年説が囁かれていた頃で、AKB48の戦略としては、様々な競争の中にメンバーを置きつつ、新しいメンバーを加入させて世代交代し、グループを継続することを重視してきた側面も、いま考えればあったのだろうと思う。

しかしながら、それは同時に、誇張なしで何百人もいるアイドルグループの中から、ときにはファンの投票によって、ときにはじゃんけんという運によって選抜メンバーが選ばれ、それがひとつのショーになるという、残酷な競争社会を生み出したということでもあった。当時の選抜総選挙のテレビ中継で、順位が発表されたあと、過呼吸になったり、感情のあまり号泣したりしたメンバーが大勢いたことは記憶に残っている。

とはいえ、握手会のような特典によるマネタイズは、AKB以降、「作詞家・秋元康へ売上を配分するため」といったような理屈にとどまるものではなく、もっと大きな意味でグループの成長のために必要なものであったことは間違いない。

 

乃木坂46は、「AKB48の公式ライバルグループ」として、2011年8月21日、オーディション合格者36名でスタートし、1枚目のシングルから選抜制度を導入した。しかしながら、シングルには、表題曲を歌う「選抜」と基本的に選抜以外の全メンバーで構成される「アンダー」の楽曲がそれぞれ最低1曲ずつ収録されるというのが、標準的なシングル構成となっており、活動中の全メンバーの歌唱曲が収録されるという点で、AKB48とは異なる制度となっている。*3

これは、劇場を持たないがゆえに、恒常的な仕事が少なく、メンバー数を抱えきれないという運営上の都合もあるものと想定されるが、一方で、「AKB48より人数が少なくても負けないという意気込み」のもと「46」を冠した*4ことからも、当初からAKB48ほど多人数のアイドルグループとしないことが意図されていたことがわかる。「AKB48の公式ライバル」として、当時AKB48に対するひとつの批判であった過当な競争を少し抑えるというアンチテーゼの役割もあったのかもしれない。

たしかに乃木坂46は「毎日が総選挙」との触れ込みのもと始まり、実際にそれは「16人のプリンシパル」という舞台公演の形で具現化された。第1幕のオーディションの後、観客の投票によって第2幕の配役を決定するこの試みは、形を変えつつも4期生*5まで経験したものである。しかしながら、このオーディションは事実上人気投票の性格が強く、もう一つの乃木坂46のテーマである「舞台」との相性がよくなかったことや、配役の不確定さからメンバーへの負荷が高かったこともあり、活動の中心に据えられることはなかった。

加えて、乃木坂46の握手会には、ファンの間で「400部免除」と称される制度があり、個別握手会・個別ミーグリ*6において、完売部数が400部を超えたメンバーは、次作以降の個別握手会・個別ミーグリを免除される。*7卒業後を見据えた個人活動への注力のため、あるいは、世代交代のためという理由付けがなされることも多い。しかしながら、AKBグループにおいては、基本的にこういった免除制度はなかったことから、そもそも乃木坂46における握手会の意義が、AKB48のそれよりもやや小さくなっているものと思われる。

乃木坂46においては、ファンの間で、個人名入りのグッズや握手会・ミーグリ・モバメ・メッセージなど、各種の個人別売上が「指標」と呼ばれ、選抜・アンダーの別や各楽曲におけるフォーメーションも概ねこの指標に沿ったものになっている。ただし、指標は人気を大まかに具体化したものであり、完全に指標に沿って選抜が行われるわけではなく、あくまで目安である。こういった形で、乃木坂46における選抜制度は、その形式を維持しつつも、その競争がゆるやかで不明瞭なものであるという点で、AKB48とは少し性格を異にすることになる。

 

欅坂46のはじまりと「全員選抜」

乃木坂46の妹分として、2016年には鳥居坂46のオーディションが行われ、そのプロダクションとしてSeed & Flower合同会社*8が立ち上げられる。鳥居坂46は、オーディション最終合格者の発表時に「欅坂46」へと改名し、オーディション合格者22人*9でスタートした。

この「22人」という人数は、AKB48乃木坂46の文脈から言えば、明らかに選抜制度の導入を想定しない人数である。AKB48乃木坂46の選抜メンバーは、当時概ね16人前後であって*10、15人選抜・7人アンダーといった体制を想定することは、概ね不可能といってもいいほどであった。*11

 

デビュー前に2名が活動を辞退し、正規メンバーは20人となったが、欅坂46は、最初のオーディション終了から3ヶ月後の2015年11月30日、新メンバー加入を発表する。最終オーディションに参加できなかった長濱ねるを特例で加入させるというものであったが、この際、最終オーディションに参加していなかったことを理由に、長濱ねる1人のみが所属する「けやき坂46」という新グループを結成し、「乃木坂46で例えるとアンダーメンバー」という立ち位置で、新メンバー募集のオーディションを行った。

 

結局、欅坂46は、1stシングル「サイレントマジョリティー」でデビューする際、当時の欅坂46メンバー20名全員を選抜とした。*12坂道グループにおけるいわゆる「全員選抜」という単語の起源は、おそらくこのときの「欅って、書けない?」での発表にあると思われる。この「全員選抜」という単語そのものが、非常に文脈的である。ふつうは、というと何を指すのか不明瞭だが、ここ50年間、日本に存在したアイドルグループのほとんどは、シングル表題曲をメンバー全員で歌唱しているはずであって、全員で歌唱するなら「選抜を行わない」とすればよいのだが、そこにAKB48からの文脈である「選抜」という制度を前提として持ちこみつつ、その上で全員が歌唱することを「全員選抜」と呼ぶ。もとあった鞘に戻っただけなのではという思いはあるが、おそらく、いずれはこの全員選抜を終え、通常通り「選抜」を行いたいという意思の現れであったのだろう。*13通常通り選抜を行うためには、基本的には新たなメンバーの加入が必要となるが、1stシングルのフォーメーション発表時には、既にけやき坂46のメンバーオーディションが開始されていたため、そのメンバーを含めて選抜を行うことが想定されていた可能性が高い。

1stシングルにおいて、長濱ねるは表題曲に参加せず、ユニット曲『乗り遅れたバス』のみの参加となった。この時点で長濱ねるの処遇が確定していたかどうかは不明だが、2ndシングル『世界には愛しかない』では、長濱ねるが欅坂46けやき坂46を兼任する形で、長濱ねるを含む21名の「全員選抜」となった。*14その後、欅坂46は「21人」であるということに一つのアイデンティティを見出し、それを強化する方向へ向かっていくことになる。

一方で、2016年5月8日、1stシングルと2ndシングルの間の時期に、けやき坂46のオーディションを経て加入した、けやき坂46の1期生11名については、かなり難しい扱いを迫られることになった。2nd~4thシングルおよび欅坂46の1stアルバム『真っ白なものは汚したくなる』には、けやき坂46として12人で歌唱する楽曲が1曲収録され*15、握手会にも参加し、単独イベントとして「おもてなし会」を行うなど、アンダーや研修生に近い活動形態を取っていたが、欅坂46けやき坂46の入れ替わりはなく、欅坂46のライブでもけやき坂46の楽曲として数曲を披露する程度にとどまっていた。

 

欅坂46けやき坂46の離別

けやき坂46は、2017年3月21日・22日に、Zepp Tokyoで初の単独ライブを行う。この単独ライブにて、「ひらがな全国ツアー2017」という名称で全国ツアーを行うことが発表された。*16そして、その2週間後の2017年4月6日、「欅坂46 1stアニバーサリーライブ」にて、けやき坂46の2期生オーディションの実施がサプライズという名目で発表された。*17この頃から、けやき坂46は、パフォーマンス等を含めた運営方針全体として、欅坂46を目指すのではなく、少し距離を取る立場を取るようになる。

けやき坂46の2期生オーディションが実施される中、欅坂46の5thシングルの制作について、欅坂46けやき坂46で合同選抜が行われることになった。けやき坂46から選抜に選ばれたのは、潮紗理菜・加藤史帆齊藤京子・佐々木久美・高本彩花の5名であったが、その話は立ち消えになり、欅坂46は長濱ねるを含めた21人の「全員選抜」で、5thシングル表題曲『風に吹かれても』を制作することになる。*18

また、この選抜発表と同時に、長濱ねるが欅坂46専任となることが発表された。理由は稼働が多忙を極めたためとされており、5thシングルのひらがなけやきの楽曲に参加しないこと、当時開催中であった「ひらがな全国ツアー2017」に参加しないこと、けやき坂46の出演が決定していたドラマ『Re:Mind』に参加しないことが発表された。

合同選抜が立ち消えになった理由は、週刊誌報道などで憶測が語られるのみであって、真実は不明だが、新メンバーが加入して人数が増加したことも相まって、この頃からけやき坂46は、欅坂46と独立した路線を歩むこととなる。この方向性は、5thシングルに収録されたけやき坂46の楽曲『それでも歩いてる』の歌詞にも色濃く表れており、2018年2月1日には、けやき坂46が単独でアルバムを発売することも発表された。

この5thシングル以降、欅坂46においては、選抜はその機能をほとんど失い、6thシングル『ガラスを割れ』から、『欅って、書けない?』においては「フォーメーション発表」という表現に変更された。*19これが、5thシングルからではなく6thシングルからなのは、けやき坂46単独アルバムの発売決定をもって、欅坂46メンバー・けやき坂46メンバー・両グループのファンのどの立場からも、けやき坂46は「アンダーとしての立ち位置」ではなくなり、合流して選抜を行うことがないことが概ね認められるようになり、次に述べる坂道合同オーディションのように、その方向性を運営が認めたからだと思われる。

 

3つの坂道をつなぐ合同オーディション

2018年3月10日、乃木坂46欅坂46けやき坂46の3グループが、合同で新規メンバー募集を行うことが発表された。まずは、この「坂道合同新規メンバー募集オーディション」*20の時系列を振り返りたい。

8月19日に最終オーディションが行われ、11月29日には、39名の合格者のうち、乃木坂46の4期生として11名、欅坂46の2期生として9名、けやき坂46の3期生として1名の配属が決定し、配属に至らなかった合格メンバー18名*21は「坂道研修生」として引き続きレッスンを行うこととされた。

「坂道研修生」は、2019年9月7日のプロフィール公開までに3人が辞退し、15人で同年10月から11月にかけて「坂道合同 研修生ツアー」を実施した。その後、2020年2月16日に、乃木坂46の4期生として5人、欅坂46の2期生として6人、日向坂46の3期生*22として3人の配属と、1人の活動辞退が発表された。

結局、あわせて乃木坂46に16人、欅坂46に15人、けやき坂46・日向坂46に4人が配属されることとなった。しかし、この坂道合同オーディションの配属は、当初の運営の想定と異なる形で行われていた。

当初は適性を見て、各グループに配属しようと考えていたが、本人の希望を重視する方向に変更になったことが、今野義雄の口から語られている。*23

 

「適性を見て」とは、有り体に言えば「運営側の都合も考慮しつつ、バランスを考えて」ということでもある。坂道合同オーディションは39人の合格者を出しており、もし単純に各グループに均等に13人程度を配属していたらどうなっていただろうか。

そもそも、坂道合同オーディションは、欅坂46けやき坂46のオーディションを同時に行うものである。2018年3月当時、欅坂46けやき坂46は事実上独立した路線を歩んでいる状態であったとはいえ、けやき坂46欅坂46とともに「欅共和国2018」に参加しており*24、もともとはけやき坂46とは欅坂46の「アンダーのような立ち位置」として始まったものであって、けやき坂46の選抜への合流が達成されないまま*25欅坂46に新規メンバーを加入させることは、やや不合理とも思える。

実際には、この坂道合同オーディションの後、けやき坂46は改名・CDシングルデビューを発表し、2019年3月27日に、日向坂46として新しいスタートを切ることになる。新規メンバーを募集するということは、グループにとって大きな転換点になり、オーディションを行う時点で、新規メンバー加入後のグループ運営についても慎重に計画されるはずである。特に、握手会を中心としたマネタイズを考える上では、グループの人数は非常に重要な要素であり、何人を新しく加入させるか、また選抜制度を導入していない欅坂46けやき坂46においては、選抜制度の導入の可能性についても、当然検討されているものと思われる。

坂道合同オーディションを行い、欅坂46けやき坂46に同時に新規メンバーを加入させるのであれば、けやき坂46の完全な独立と、欅坂46への選抜制度導入を想定することが自然である。けやき坂46についても、当時のメンバー数が20人であり、さらに13人程度が加入すれば、合計33人程度となって選抜制度の導入が必要になる可能性が高い。

 

しかしながら、実際には先述の通り、欅坂46には15人、けやき坂46・日向坂46には4人のメンバーが加入することとなった。少なくとも、日向坂46の加入人数は、当初の想定よりは大幅に少なくなったと考えられる。欅坂46には2期生が加入したこと、そして日向坂46には3期生が4人しか加入しなかったことによって、この2つのグループには、当初運営が想定していなかったと思われる結果がもたらされる。

 

欅坂46の終焉と、選抜制度導入への志向

欅坂46は、その後も8thシングル『黒い羊』まで「全員選抜」*26を継続した。

9thシングルでは、「初めて」と名言する形で選抜制度の導入が発表され、1期生・2期生から17名が選抜された。しかしながら、このシングルの発売は、2019年12月に延期が発表され、最終的には発売されることなく、櫻坂46への改名が行われた。改名前に発表された配信限定シングル『誰がその鐘を鳴らすのか?』では、1期生・2期生*27の全員が参加し、センターポジションは不在となったため、欅坂46においては、最終的に選抜が行われることはなかった。

8thシングル『黒い羊』が発表されたのが2019年2月27日、9thシングル発売発表が9月8日、選抜発表が9月9日、延期発表が12月8日であり、2020年3月頃からはコロナ禍に当たり、全員参加の配信限定シングル『誰がその鐘を鳴らすのか?』は2020年8月21日に発売される。2期生は2018年11月に加入してからの3年弱、期別曲すら与えられず、主な活動としては、卒業・欠席した1期生の代わりにライブに参加するにとどまっていた。

そもそも、この『黒い羊』期間には多くのメンバーの卒業・脱退があり、欅坂46の今後の方針や方向性が定まっていなかった時期であるという側面はあるが、2期生が満足に活動に参加できていなかったことは事実である。そして、今後の方針として、10月13日の『欅坂46 THE LAST LIVE』をもって欅坂46としての活動を休止、10月14日より、櫻坂46として活動を開始した。

櫻坂46では、1stシングル『Nobody's fault』から「櫻エイト」と「BACKS」という独自の選抜制度を導入した。*28ただし、櫻坂46公式の表現としては、「選抜」という単語を用いておらず、「マルチシステム」と呼ばれる。これは、表題・カップリングを区別しない形で、1列目と2列目の「櫻エイト」と呼ばれる8人は、うち3人のセンターを変えながらシングルの全楽曲に参加し、後に「BACKS」と呼ばれる残りの18人は、楽曲ごとに6人が楽曲に参加するというものであった。

ファンの間では「櫻エイト体制」と呼ばれることもあるこのマルチシステムは、概ね5thシングル『桜月』まで、カップリングのユニット曲の増加や、渡邉理佐の卒業に際しての楽曲である『僕のジレンマ』の全員参加、人数減少によるチーム数の減少など、少しずつ形を変えながら維持されてきた。

櫻坂46では、様々な経緯があり、「選抜制度」という表現をしばらくの間用いてこなかったが、握手会・ミーグリの参加人数を増やし、CDシングルの売り上げを伸ばすという機能を持つという意味では、このマルチシステムは選抜制度と同等のものである。

6thシングル『Start over!』では、1期生と2期生の全員が選抜される*29形で、「櫻エイト体制」は解消された。

次の7thシングル『承認欲求』では、3期生が表題曲に参加することとなった。従来の「櫻エイト体制」とは異なる形で、16名を選抜し、アンダーに相当する残り12名のメンバーを、従来の表現を用いて「BACKS」と称した。これがグループ公式の表現では初の「選抜制度」の導入となる。8thシングル『何歳の頃に戻りたいのか?』でも、継続して選抜制度が用いられた。*30

 

けやき坂46・日向坂46の変遷と、「全員選抜」の維持

そもそも、けやき坂46時代には、ユニット曲などは存在するものの、欅坂46のシングルに収録されるけやき坂46の楽曲は1曲から2曲であり、CDシングルの構成としては最後までアンダーと同等の扱いであったことから、その中でさらなる選抜制度は導入されてこなかった。

けやき坂46は、2019年3月27日に「日向坂46」に改名、1stシングル『キュン』を発売しCDシングルデビューする。この当時のメンバーは、1期生11人・2期生9人・3期生1人の21人であり*31、この人数で選抜制度を導入することは難しく、表題曲を全員で歌唱することとなった。

この当時のけやき坂46・日向坂46は、楽曲『約束の卵』とともに東京ドームへの夢が与えられ、後にドキュメンタリー映画『3年目のデビュー』において「私たちは誰も諦めない、誰も見捨てない」とキャッチコピーがつけられるように、その夢へ「全員で」向かっていこうとしていた時期である。*32

2ndシングルから4thシングルまでは休業・卒業等がありつつも、表題曲を活動中*33の1期生・2期生・3期生全員で歌唱した。1stアルバム『ひなたざか』のリード曲『アザトカワイイ』からは、新たに加入した「新3期生」も含めた全員での歌唱となり、5thシングルから7thシングルも同様の体制となった。

8thシングル『月と星が踊るMidnight』の制作時点では、4期生の12人が加入し、メンバー数は総勢で33人となっていた。乃木坂46の3期生・4期生では、加入して初めてのシングルでは期別曲のみの参加となっており、日向坂46の4期生もこれと同様に、8thシングルでは表題曲を1期生・2期生・3期生の全員で歌唱し、4期生は期別曲『ブルーベリー&ラズベリー』のみを歌唱した。

その後、9thシングル『One choice』、10thシングル『Am I ready?』、2ndアルバム『脈打つ感情』のリード曲『君は0から1になれ』でも同様の体制がとられ、4期生は表題曲・リード曲の歌唱に参加していない。加入日・お披露目の日から合流日*34までの日数で考えると、乃木坂46の2期生が201日、3期生が340日、4期生が276日、5期生が29日*35、櫻坂46の2期生が731日、3期生が228日であるが、日向坂46の4期生は11thシングルから参加する場合で568日となる。櫻坂46の2期生は、先述の通り、欅坂46の9thシングル制作見送りと欅坂46の改名等に伴い、そもそもシングル・アルバムが制作されない期間が長く続いたが、それに近い期間、表題曲に「合流」できていない。

少なくとも、1期生が加入した2016年5月8日から4期生が加入した2022年9月21日に至るまで、けやき坂46・日向坂46には選抜制度が存在しなかった。鶏がさきか卵がさきかはわからないが、選抜制度が存在しないからこそ、けやき坂46・日向坂46には連帯感というアイデンティティが生まれたのだという言い方さえできるように思う。

そして、これは先述した坂道合同オーディションでの配属者が4人であったこととも関係が深い。坂道合同オーディションで13人程度が配属されていたとすると、デビュー時点でのメンバー数は33人となり、櫻坂46と同様に改名と同時に選抜制度へと移行することは自然な流れとして想定されうる。実際には4人であったことから、こうした選抜制度が存在しない環境が長期間維持されつづけていた。

 

アイドルの人数と時代の移り変わり

坂道グループにおける選抜制度の歴史を振り返ったところで、坂道グループから話を広げ、アイドル全体を振り返ってみたい。「終わらないアイドル」が理想として掲げられて久しいが、女性アイドルにとって、「終わらない」ことを実現するのはあまりにも難しい。男性アイドルでさえ、2016年12月のSMAP解散を経て、アイドルにはいつか終わりが来ることを突きつけられた。

少なくとも2024年現在、グループアイドルにおいては、メンバーが加入したその日から、いつかは卒業し、グループを巣立っていくことを前提に、アイドルの文化は回っている。

ももいろクローバーZが新たな「終わらないアイドル」への挑戦を続けてはいるが、それでも6人から5人、4人へと人数を減らし、長くAKB48の最年長であった柏木由紀はキャリア17年目、32歳で卒業を発表した。根源的に、AKB48グループ・坂道グループに所属する限り、アイドルに永遠はないのだろう。それは、AKB48グループ・坂道グループにおけるキャリアのあり方は、ある種一方向的であって、年齢とともにありうる多様なキャリアの選択肢を提供できていないからだ。それは選抜制度と根源的な部分で繋がっているのだろうとさえ思う。

たしかに、乃木坂46は、「400部免除」などの制度や、個人プロデュースへの支援などの運営体制の恩恵もあり、AKBグループよりは卒業までの時間を少し長くしつつあるように思うが、それでも、1期生はデビュー11年で全員が卒業した。

一方で、AKB48グループ・坂道グループ以外のアイドルも、多く台頭している。指原莉乃のプロデュースする=LOVE、≠ME、≒JOYなども、そのひとつである。=LOVEは、2017年4月に12人でデビューしたが、指原莉乃は、=LOVEの2期生オーディションを周囲から勧められた際に、理想は「選抜制度のないグループ」にあるとして、2018年11月、姉妹グループを作ることを決めた。*36

指原莉乃は、AKB48HKT48STU48に所属し、選抜総選挙を独自の手法で戦い、3度1位に立ってきた人間である。それでも、自分がプロデュースするアイドルに対して、選抜制度のないグループを理想としたことは、AKB48の時代の潮流を大枠で否定したということでもある。そして、ファンがこの決断を受け入れていることが、アイドルグループとして、選抜制度が不可欠のものではないということを何より示している。

とはいえ、先に述べた通り、グループアイドルは、個々のキャリアの長短はともかくとして、いつかはメンバーが卒業していく。AKBグループ・坂道グループは、アイドル個人に終わりがあることを前提にしつつ、新規メンバーを加入させることによって、アイドルグループとして続いていくことを目指している。つまり、=LOVEが2期生の募集を行わないということは、将来的にグループが終わっていくことを選んだということであり、その意味でもAKBグループ・坂道グループと大きく距離を置く決断である。

 

さらに言えば、2016年5月8日に加入したけやき坂46の1期生、2016年8月21日に加入した乃木坂46の3期生、2017年4月29日に合格した=LOVEが、いずれも11人~12人であったことも印象深い。その後も、坂道合同オーディションの39人(前述の通り、3グループに均等に配属する前提で言えば1グループ13人)、≠MEの12人、乃木坂46の5期生11人、≒JOYの11人*37、日向坂46の4期生12人、櫻坂46の3期生11人*38と、概ね11人~13人ほどのオーディション合格者を出している。

現在では、坂道グループも、期別に曲が書かれることや、期別での活動なども多く、成長の過程や物語の形成は各期ごとに起こっている傾向にある。特に新規のファンにとっては、加入当初から応援できることもあるからか、自分がファンになった時期に加入したメンバーを応援する傾向もあり、各期別にひとつのアイドルグループのような扱いをされることもある。

そうした際に、およそ12人という人数は、ひとつのアイドルグループとして全体曲をやったときに必要最低限の迫力が出る人数でもあり、その中に色々な個性を見出して、色々な方面で活躍するための、適切な人数でもあるのだろうと思う。欅坂46のファンや乃木坂46の4期生ファンの中には、「21人が揃う」や「16人が揃う」ということに大きな感動を見出す人も多いが*39、実際に揃うことはかなり難しかった。12人前後だからこそ、全員揃うことが現実的にもなり、そのときそれぞれのメンバーにきちんと焦点を当てることもできる。

秋元康プロデュースのWHITE SCORPIONの11人や、PRODUCE 101 JAPAN THE GIRLSから結成されたME:Iの12人など、この12人前後という人数は、他のアイドルグループにとっても基準となっている。

いわゆる「アイドル戦国時代」以降、ももいろクローバーZを理想とする中で生まれた5~6人のアイドルグループが、いわゆる地下アイドル・ライブアイドルを中心に多くいるが、2024年現在のメジャーでのグループアイドルの理想像は、12人前後となっていることがうかがえる。これは、明らかにAKB48の時代には存在しなかったものであって、大人数アイドルグループである坂道グループも、期別という形で概ねこれに寄り添っている。

 

ある意味では、2020年代は、大人数のアイドルグループに対して、やや否定的なポジションから見られることが増えているという考え方もありうる。「アイドル戦国時代」には多くのアイドルが生まれたが、アイドルグループに加入できても、そこからスターになれるのは一握りの人間で、全員がグループ在籍時も卒業後も芸能界で生きていくことができるわけではないということが、よく語られるようになった。それはオーディションの応募者数にもよく表れている。乃木坂46のオーディションに多くの人が応募するのは、その人気だけが理由ではなく、卒業生が卒業後も活躍の場を広げていることがわかっているからでもある。乃木坂46の運営は、オーディションの応募者数を増やすという意味でも、それぞれのメンバーが個性を磨き、卒業後の進路をつくってから卒業させるということに、かなりの心血を注いでいる。櫻坂46や日向坂46も含め、大人数のグループアイドルは、卒業後の進路に対して、かなり厳しい目が向けられている。

乃木坂46はデビュー当初から選抜制度を導入しているが、正直なところ、初期のアンダーメンバーには、卒業後の進路を明確にできずに卒業していったメンバーも多くいる。こういった厳しい目が向けられる中での選抜制度は、かなり難しい舵取りを迫られることになる。

これは、「アイドル戦国時代」の2010年代とは、明らかに価値観が異なる。多くのアイドルグループが生まれ、小さな規模から始まったアイドルグループが、日本武道館や東京ドーム・国立競技場でライブを行えるまでに成長していく。その夢がアイドルの口から語られ、ファンもその夢が叶う可能性があると思っていた。もちろん、ほとんどのアイドルはその夢を達成できないまま解散していったが、少なくない数の成功例があった。2010年代とはそういう時代であった。

AKB48はその「アイドル戦国時代」の前半を駆け上がり、後半には、選抜総選挙を舞台装置として、グループの中で小さな「アイドル戦国時代」をも生み出した。乃木坂46は、AKB48の公式ライバルとして生まれ、徐々にその勢力を拡大し、「アイドル戦国時代」の先頭集団に混ざっていった。欅坂46は2010年代の中頃に生まれ、瞬く間にその時代に割って入った。日向坂46と櫻坂46は、「アイドル戦国時代」の終わり頃に改名・デビューし、アイドルのあり方が目まぐるしく変わる2020年代に生きている。だからこそ、櫻坂46や日向坂46は、乃木坂46とは異なる価値観のもと、楽曲のフォーメーションや選抜に関して、独自の制度を設ける必要があったのだと思う。

 

坂道グループ個々の特色と選抜制度との関わり

思えば、乃木坂46は、AKB48の公式ライバルとしての成立から、AKB48との対立軸を掲げることを運命づけられてきた。前述の通り、劇場を持たないことや、競争を抑えることもその対立軸のひとつであり、「女子校のような」という語られ方も、AKB48との対比を意識したものである。特に、8th YEAR BIRTHDAY LIVEまでの全曲披露に代表されるように、その歴史を表現することが、乃木坂46の大きな強みとなった。

そして、欅坂46は、当時のトップアイドルであったAKB48乃木坂46のどちらとも違う特徴を持つことを運命づけられて始まった。おそらく選抜を想定しない22人という少ない人数で始まったこと、乃木坂46のアンダー楽曲をさらに突き詰めたような社会性・反骨精神のある歌詞、そしてその歌詞や楽曲を届けるためのパフォーマンスに集中することが、欅坂46の特徴でもあった。

欅坂46が2度に渡って選抜制度を導入しようとしたにもかかわらず、それがうまくいっていないことは、こういった社会に対する反抗というアイデンティティと無縁のものとは思えない。「社会に対するメッセージ」を掲げるにあたって、メンバーの側は一致団結しなければならないからだと解するのが自然なように思う。「21人の絆」という概念は、選抜の拒否という文脈ではなく、メンバーが楽曲を届けるために、そして一致団結してパフォーマンスをするために、必要なことでもあるのだろう。

櫻坂46は、欅坂46の精神を受け継ぎつつ、2023年・2024年現在では、楽曲のパフォーマンスに強いこだわりを持つアイドルグループとしての立ち位置を明確にしている。櫻坂46は「全員で輝ける未来へ」を標榜して始まった。これは当然、欅坂46では全員が輝けたわけではないということ、つまり欅坂46が「21人全員で」にこだわり続けた結果、2期生を含めた「全員で」が達成されなくなったということの裏返しである。だからこそ、櫻坂46では1stシングルからの「櫻エイト体制」に「選抜」という言葉を使わず、全員でシングルを制作するという形式を取ったのであろう。

とはいえ、6thシングル『Start over!』での1期生・2期生全員選抜を経て、7thシングルからは名実ともに選抜制度を導入することになった。これは、形式的には6thシングルで、実質的には多くの1期生の卒業をもって、「全員が輝けなかった過去」からきちんと脱却できたから、そして櫻坂46がアイデンティティとして求めた「パフォーマンス」を追求するにあたって、選抜制度が障害にならないことが明らかになったからとも言える。*40

競争を軸にして一時代を築いたAKB48と、それに対抗して歴史を紡ぎ成長した乃木坂46、AKBと乃木坂に対抗して作品を軸に熱狂的な支持を得た欅坂46欅坂46の流れを受け継ぎパフォーマンスを磨くことで復活した櫻坂46がいる。日向坂46は、この3つの軸とは別のなにかを、グループの軸とすることを運命づけられている。そもそも、日向坂46は、けやき坂46の時代から欅坂46との違いを追い求めてきたグループである。ハッピーオーラや、『約束の卵』への物語、「私たちは誰も見捨てない」に代表される連帯感は明確にその解答のひとつである。けやき坂46・日向坂46は、連帯感によってファンを集め、そして成長してきた。明確に東京ドームという夢があり、そこへ向かって全員で走り続けていたあの頃には、たしかにそこにしかない物語があった。そして、欅坂46とは方向性は異なるが、一体となるということは、そのときのメンバーを特別なものにするということと裏表の関係にある。

だからこそ、それらの解答は、「選抜制度」という明確にグループを二分する競争構造とそう簡単に両立できるものではない。かつて欅坂46がそうであったように、グループが一つになっていくコンセプトとグループを二分する制度を両立しようとするのは、一歩間違えばグループそのものが消えてなくなってしまうほどに危ういことである。

だからこそ、日向坂46は、1年もの間、4期生の表題曲への参加を留保しつつ、1期生・2期生・3期生の全員選抜を維持しつづけた。少なくとも、選抜制度を導入するためには、メンバーにとっても、ファンにとっても、それなりの理由や独自の方向性が必要だ。齊藤京子の卒業で、2024年4月6日時点でのメンバーは28人になる。選抜制度を導入せずとも、4列のフォーメーションでなんとか全員が表題曲に参加できる人数である。

 

余談:乃木坂46と櫻坂46・日向坂46の運営方針の差異

乃木坂46の運営と欅坂46・櫻坂46・けやき坂46・日向坂46の運営は、代表取締役に今野義雄を据えていることなど、共通点もあるが、あくまで別の会社であって、運営方針も異なる。

アイドルグループに対しての運営方針も、現在では、個を重視することを第一に考え、その個が多方面に活躍する中でのゆるやかな競争を原動力にしているのが乃木坂46LLCである。Seed & Flowerは、影山優佳小坂菜緒のいわゆる「外番組」への出演をやや抑えている。結局、グループ全体の運営を成立させることが優先事項にあって、その上で個人の仕事を考えるという体制にあるように見える。

それは実際には欅坂46の世界観を成立させることに一役買ったという面もあり、日向坂46では『約束の卵』の効果を借りつつ大きな原動力となったし、櫻坂46ではここ最近グループ全体の運営が上手に機能し始めていることがわかりやすい。

とはいえ、日向坂46の4期生や櫻坂46の3期生が、乃木坂46の5期生に比べてそのパーソナリティーに注目が集まりにくいのは、知名度や人選といった点のみならず、やはり個を尊重しその力を伸ばすことを主眼に置く乃木坂46LLCと、グループ全体を成立させることに主眼のあるSeed & Flowerの差異でもある。

ただ、企業体としては欅坂46の誕生とともに始まったSeed & Flowerが、欅坂46の作品づくりと世界観を第一に置かなければいけない環境から始まっているからこそ、こういった運営方針が形成されてきたのだとも言えるように思う。

卒業後のタレント長濱ねるのファンとしての筆者の個人的な感想だが、タレントのマネジメント事務所としてのSeed & Flowerは、個人に寄り添う方針が見える。ある程度本人に仕事の選択権があり、本人にオファーの話が行かないこともあまりないように見える。もちろん、マネジメントとしてやらなければいけないことはあるが、ファンクラブなどについては、本人の希望を実現できるようなマネジメントがなされているのが見て取れる。

そう考えると、この差異は、タレントのマネジメントと、アイドルグループのプロデュースとの本質的な差異のようにも見える。ある意味で、乃木坂46LLCはプロデュース業からマネジメント業としての役割に変わりつつあり、Seed & Flowerは、あるいは櫻坂46・日向坂46はまだプロデュースが必要な段階にあるのだろうという考え方もある。

 

おわりに

筆者も、今以上にアイドルが、というかAKB48が、そして選抜総選挙がもはや生活の中にあったといってもいいくらい当たり前の時代に生きて、今までアイドルを見てきている人間として、選抜制度から生まれる物語があることも重々理解しているつもりだ。そして、AKB48においては、選抜制度から生まれる競争が、グループ全体の成長の原動力となっていたことは間違いない。乃木坂46でも、齋藤飛鳥に代表されるように、アンダーから選抜へ、センターへという個人の成長の物語を生み出してきたのが、選抜制度である。

とはいえ、2020年代は「アイドル戦国時代」とは異なる様相であって、アイドルの持つ社会的なインパクトはやや小さくなり、切磋琢磨するための競争を生み出す装置としての選抜制度は、やや残酷なものと解されつつある。乃木坂46でさえも、近年では選抜の人数を増やし、アンダーの人数を大きく減らしつつある。オーディションの質の担保も含めて、2020年代のアイドル運営は、もはや多くのメンバーの中から何人かが「スターになっていく」ことを見守ることではなく、少ない人数でも、オーディションで選んだメンバーを「スターにする」ことが求められている。

選抜制度とは、明確にグループを2つに分けるものであって、単純に人数が増えたから選抜制度を取るという選択は、4期生加入までに積み上げてきた日向坂46の歴史と整合性が取れない。合同選抜が立ち消えになってから、東京ドーム公演に至るまでの長い坂道を「連帯感」で駆け上がってきたグループだからこそ、選抜制度を導入するには何かしらの理由が必要だ。少なくとも、乃木坂46にあった「400部免除」制度は櫻坂46・日向坂46にはなく、乃木坂46ほどのペースでメンバーを入れ替え、追加募集をしなければならない理由はないのだから、乃木坂46と同様の制度が絶対に必要だとまでは言えない。

そもそも、ある一定の尺度で競争するとき、努力が報われないことも当たり前にあって、選抜制度を導入することは努力が報われない社会の厳しさにメンバーが晒されるということでもある。*41だからこそ、欅坂46が選抜制度に対するアレルギーを示したことには、欅坂46そのものの世界観として、そしてメンバーの気持ちとして納得がいく。

そして、けやき坂46・日向坂46の過去の経緯からも、全員選抜を崩して選抜制度を導入することに対して、1期生にはなんらかの感情があるはずだ。佐々木美玲が2022年になって、つまりあれから5年が経っても「幻の選抜」について言及していることが、何よりそれを示している。

4期生が加入して最初に参加したシングルは7thシングル『月と星が踊るMidnight』であり、9thシングル『Am I ready?』では3期生からはじめて上村ひなのをセンターにすることで、4期生がセンターになる可能性を示した。2ndアルバムなども含めて、やや時間稼ぎの誹りを免れないところはあるが、日向坂46の次の方向性が示されるまで、選抜制度に対する態度を保留しなければならなかったことは必然とも言える。2023年、停滞した1年を経て、「もう一度東京ドームに立つ」ということが明確に目標として掲げられたいまこそが、決断のタイミングになるはずだ。2024年2月26日、11thシングルのフォーメーション発表で選抜制度を導入するに至るまでの過程は、なくてはならなかったのだ。

 

2024年現在、選抜制度に対する否定的な風潮や、グループアイドルの少人数化が進んでいるのは事実だが、一方で、AKB48グループや坂道グループは、選抜制度によって売上を維持し、グループそのものを成長させてきたことも一方でまた事実だ。

グループを将来にわたって運営する意思があるのなら、選抜制度を導入するにしても、全員選抜を維持するにしても、運営はどこかで決断しなければならない。かつて、坂道合同オーディションのとき、欅坂46への選抜制度導入とけやき坂46の改名・単独デビューが意図されていたように、日向坂46の4期生オーディションを行った時点で、運営はこの決断にたどり着くことが運命づけられていたはずだ。

 

欅坂46・櫻坂46も、けやき坂46・日向坂46も、AKBグループ・坂道グループに前提としてあり続けた選抜制度をデビュー時に導入することはなく、長い時間をかけて、選抜制度と向き合ってきた。メンバーやファンもそうだが、狭間にある運営は、この闘いの最前線にいたことは間違いない。とはいえ、選抜制度に向き合う過程の中で、欅坂46も、櫻坂46も、けやき坂46も、日向坂46も、それぞれの特色を見い出してきた。この過程こそが、アイドルグループとしての成長のために必要な経験であったことを信じてやまない。

 

あとがき

今回の文章は、櫻坂46への選抜制度導入の発表後、日向坂46にもいつか決断のときが来ることを想定して書きすすめていた文章である。ここまで記したほとんどのことは、選抜制度が導入されても、全員選抜となっても、「決断を迫られた」という文脈から同じように捉えられる。こうしてアイドルを構造的に捉えることは、「ふつうの」アイドルのファンとしての意義があるとは思えないところもある。アイドルのファンとは、目の前に実存するメンバー本人にこそ関心があるものだと思うからだ。

とはいえ、そういう構造の上でアイドルは生きているし、僕にとっては、そういう構造の中に身を投じることこそがアイドルの本質的な魅力なのだろうと思う。極論だが、構造を見ることで、目の前のアイドルときちんと向き合うことができるようになるとさえ思う。

AKB48は少なくとも全盛期の勢力を維持できておらず、選抜制度を導入したグループでさえ、アイドルがグループとして続いていくことはそう容易ではない。僕自身には、欅坂46は記憶の中の存在でいいんだ、という思いはあるし、そういうアーティストが無数にいたわけだから、絶対にそれを受け継いでほしいという思いはない。とはいえ、櫻坂46はアーティストであると同時にアイドルグループでもあって、アイドルとはグループを維持するかどうかとは関係なく、「継承」みたいな経路依存性が大事なのだから、そうやって生きていくことが、そしてファンとしてはそれを見守っていくことが大事なのかもしれない。

ここまで、約2万字を綴って、僕自身の気持ちがようやく整理された。もとから「運営の判断に任せたい」と言い続けていたが、本当の気持ちとして、選抜制度が導入されても、4期生を含めた全員選抜を維持しても、どちらも大変な決断であって、グループにとってはここまで経験してきた選抜制度との闘いそのものが財産なのだから、どちらの道を選んでも、これから先の未来を見ることはできるのだと信じている。

(文中敬称略)

 

 

 

 

 

*1:坂道AKBのように複数のアイドルグループからそれぞれ何人かのメンバーを選び、特別に楽曲を割り当てることも「選抜」と称されるが、この選抜については含めない。

*2:ただし、SKE48『恋落ちフラグ』、NGT48『あのさ、いや別に…』、STU48『大好きな人』など、当時の活動中メンバー全員(あるいは研究生を除く全員)が選抜されたこともあり、これが「全員選抜」と称されることもあるが、いずれも後述する欅坂46 1stシングルの選抜発表以後の出来事である。

*3:23rdシングル「しあわせの保護色」にはアンダー曲が収録されていないが、全メンバーの歌唱曲が最低1曲は収録されている。

*4:ただし、AKBの「48」は、人数を表す数字として付けられたわけではなく、AKB48のメンバーが48人だった期間は短い。概ね「AKBは48人くらい」という一般的なイメージに対応するものであったと思われる。

*5:いわゆる「新4期生」を含まない。

*6:ミート&グリート。コロナ禍以降の握手会の代替とされる、オンライン・対面でのお話会のこと。以下も「ミーグリ」と記す。

*7:公式には「スケジュールの都合」と表記されるが、実際にはスケジュールに関わらず無条件に免除されると噂されている。なお、全国握手会・全国ミーグリには参加する。

*8:設立時「Dog House合同会社

*9:デビュー前に活動を辞退した鈴木泉帆・原田まゆの2人を含み、長濱ねるを含まない人数

*10:AKB48には26人・36人など、より多くの人数が選抜されることもあるが、その際には歌番組などに優先的に出演する「メディア選抜」がさらに選ばれる。乃木坂46は、現在では20人超の選抜もあるが、欅坂46結成時に発売されていた12thシングルの『太陽ノック』までは最大18名であった。

*11:現在に至るまでには、櫻坂46の1stアルバム「As you know?」のリード曲『摩擦係数』の選抜において、21人中15人と非常に近い比率となった事例があるが、後述する「櫻エイト体制」に準拠する体制であり、単純な選抜制度とは異なる形態をとっている。

*12:漢字表記の「欅坂46」メンバー全員。以下、「欅坂46」と表記したときは漢字表記の欅坂46を指す。

*13:当時の総体としての「欅坂46」の21名から、20名を選抜するという意味とも捉えられる。その後の欅坂46の歩みと、他のグループにおける事例を踏まえて、ここでは長濱ねるがグループの活動に「合流」する前のシングルであると位置づけたい。

*14:このときの「欅って、書けない?」では、この発表が当時の欅坂46の1期生20名に歓迎される状況であったことを付け加えておきたい。

*15:4thシングル『不協和音』には、欅坂46けやき坂46の32人で歌唱する『W-KEYAKIZAKAの詩』も収録されている

*16:Zepp Tokyo公演についても、後に「ひらがな全国ツアー2017」に含まれることとなった。

*17:このサプライズ映像は、リハーサルの段階でけやき坂46メンバーが目にしており、それを目にした一部のけやき坂46 1期生が衣装部屋に入り、立てこもった。これは後に「衣装部屋立てこもり事件」と呼ばれるほど、当時のけやき坂46メンバーにとって大きな抵抗を持って受け止められたことが明かされている。

*18:この段落は、2019年2月13日の高瀬愛奈のブログおよび2022年3月9日「TOKYO SPEAKEASY」における佐々木美玲の発言と、当時の時系列をもとに、筆者が推測を交えつつ記述したものです。週刊誌の情報は含みません。

*19:ただし、番組の放送内容欄は8thまですべて「選抜発表」で統一されており、テロップは6thまで「選抜発表」の文字が残った。

*20:以下、坂道合同オーディション

*21:乃木坂46の4期生に内定したが辞退した松尾美佑を含む。

*22:後述するが、この間にけやき坂46は日向坂46として改名・CDシングルデビューしている。

*23:参考:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44872030W9A510C1000000/

*24:同年に行われた2nd YEAR Anniversary Live、ならびに欅坂46 夏の全国アリーナツアーには参加していない。

*25:正確には、長濱ねるを除いて

*26:「黒い羊」の発売時には欅坂46に2期生が加入しているが、2期生が全体の活動に「合流」する以前のシングルである。乃木坂46においては、「乃木坂工事中」の選抜発表の際に表示されるテロップに「3期生」などとの記載があり、合流時期が明確に示されている。欅坂46・日向坂46では公式に示されていないが、ほぼ同様に、その期のメンバーが最初に表題曲に参加したシングルより前のシングルを「合流前」と解釈する。

*27:「新2期生」を含む

*28:ただし、『Nobody's fault』は『欅坂46 THE LAST LIVE』の2日目エンディング終了後に初披露されている。これは、『そこ曲がったら、櫻坂?』において、フォーメーションや新体制の詳細が発表される以前であり、『Nobody's fault』の参加メンバーや楽曲フォーメーションについては、初披露のタイミングで事実上発表されている。

*29:この間にオーディションを経て加入した3期生は5th・6thでは「合流前」にあたると解釈する。

*30:1stシングルから現在に至るまで、『そこ曲がったら、櫻坂?』においては、「フォーメーション発表」という表現が引き続き用いられている。7thシングル『承認欲求』における選抜制度導入の際も、「フォーメーション発表」の一環として発表された。

*31:活動中のメンバーとしては、影山優佳を除く20人

*32:2019年12月18日の『ひなくり2019』において、『ひなくり2020』の東京ドームでの開催が決定したが、その後、新型コロナウイルス感染症の影響により有観客でのライブが開催できない事態となったため、東京ドームでの『ひなくり2020』の開催は叶わなかった。東京ドームでのライブは、2022年3月30日・31日の『3回目のひな誕祭』で達成された。

*33:正確には、シングル制作時点で活動中。4thシングルは発売日時点で「新3期生」が加入している。

*34:表題曲・リード曲に当該期のメンバーが1人以上参加したシングル・アルバムの発売日

*35:29thシングル『Actually…』を含めない場合は400日

*36:参考:https://twitter.com/345__chan/status/1061924376105242626

*37:オーディション合格者。小澤愛実を含まない。

*38:オーディション合格者。うち1名辞退。

*39:筆者も前者の一人であることを申し添えておきたい。

*40:より正確には、「少なくとも障害にはならないこと」である。パフォーマンスのための最適な人数を追求する観点から、人数を15人程度としているという解釈もできるように思う。2020年・2021年の紅白歌合戦には全員で出場していたが、2023年紅白歌合戦の『Start over!』には3期生が出演しておらず、パフォーマンスへのこだわりがうかがえる。なお、坂道グループでは近年、基本的に紅白歌合戦には可能な限り全員が参加している。同様に全員参加でなかったものとして、2期生6人を含む21人で披露した2019年紅白歌合戦欅坂46『不協和音』が挙げられる。

*41:例えば、櫻坂46が公式に選抜制度を導入した7thシングルの3期生曲『マモリビト』には、選抜とBACKSが隠喩的に描かれており、努力が報われないことがあることを示している。

長濱ねる『たゆたう』とともに、あの頃を振り返る

毎月、長濱ねるさんが雑誌「ダ・ヴィンチ」に連載しているエッセイ「夕暮れの昼寝」が、一冊の本として刊行された。

もちろんエッセイには色々な読み方があるが、彼女のファンをもう何年もやっている筆者としては、エッセイに書かれた当時の記憶を思い起こし、何なら明確にいつの話かを特定し、色々な資料を持ってくることによって、そのときの本人の感情をより深く追体験するのが、毎月の習慣になっている。

例えば、仕事を休んで五島に帰ったのがいつかというのも、なんとなくあたりをつけている。傍から見れば変な読み方だと思われるのだろうが、一人のファンとして、可能な限り当時の状況を理解して、そして当時どのような反応があったか、当時筆者自身がどう思っていたのかということにも思いを馳せながら、エッセイを深く読みたいという気持ちが強い。

そんなふうに連載を読みながら、当時の出来事や気持ちを言葉にしてもいいと、今の彼女が思っていることに、格別の嬉しさを覚えることもあった。欅坂の頃の話が出ると、たしかに強く反応してしまうが、それだけではなく、骨折の話とか、23歳の誕生日の話とか、福江島での話とか、復帰以降のことも、記憶が新しい分だけ、深く読めるような気がして嬉しかった。

そして、そうやって読んでいる人間だからこそ、「エッセイでは嘘をつかない」という気持ちが本当のものなんだという確信が強くなる。

長濱ねるさんという人間をまるごと見ていきたい。そんな気持ちでファンになっている人間としては、こういう読み方が何より格別な時間だ。そしてそれだけ、当時の気持ちにどっぷりと浸かることができる、そんな上手な言葉選びにも感動する。

 

何年もファンをやっていながら、彼女は少しつかみどころがないというか、なんだか二面的というか多面的というか、それこそ「たゆたう」ように生きているように見えるところもある。でも、こうして一冊の本として読み返すと、半生を振り返りながら、「自分との戦い」の過程を振り返って読むような、そういう本になっていると思う。

僕は彼女とは違うタイプの人間だと思っているし、だからこそ彼女のことが好きだと思っている。それでも、こうして綴られる内容に、それなりに共感することもある。自分をコントロールしているつもりで、でもそれが時々できなくて憂鬱になる。それでもなんとか生きている。そういうところは確かに筆者自身に似ているのかなと思うし、周囲の感想を聞いても、少しずつ彼女に共感しているような気がする。文章を読んだり書いたりしながら生きている現代の若者にとっての普遍的な悩みを、こうして言葉にして綴っているような、彼女の文体に感服する。

筆者が欅坂46や長濱ねるさんを見て過ごしてきたことを思い起こしながら、綴られている言葉に思いを馳せる。芸能界の荒波に呑まれて、というのは使い尽くされた表現だが、それどころではない荒波が襲ってくるような世界にいたわけで、どこか遠い世界で生きているように見えてしまうときもあるが、こうしてエッセイを読み通すと、実際には少し似通った視点で世界を見つめて、同じ世界を生きているんだなと思えるだけで、少しだけ気持ちが楽になる。

 

9月1日の夕方、家にエッセイが届いた。一つひとつエッセイを読み、特装版の最後の書き下ろしエッセイまでたどり着く。X(旧Twitter)のポストでなんとなくどういう話が来るかは知っていたが、それでも読み始めた瞬間から号泣し、人生で何度あったかというくらい泣き腫らしながら、ギリギリの気持ちで残りを読み終える。翌日9月2日はお渡し会だから、なんとか気持ちを整理して、ギリギリの状態で渋谷へ向かう。お渡し会を終え、家に帰ってきて、ウイスキーを浴びるように飲んだ。自分でもどういう気持ちか全くわからない。でも、何も考えられなくなるくらいお酒を飲まないとやってられなくなってしまった。

なんだかよくわからない精神状態で翌朝を迎え、そうしてようやく、このエッセイと、そして自分の気持ちと向き合うことにした。

 

 

 

 

 

 

(ここから先の文章は、筆者自身がここ数年戦ってきた色々な感情と、きちんと折り合いをつけるための文章です。「たゆたう」特装版の全編を読んだ人だけ、読んでほしいと思っています。ネタバレを含みます。)

 

 

 

 

 

 

特装版の最後のエッセイは、書き下ろしで、アイドル時代にあった炎上のことについて綴られている。まずは、「エッセイでは嘘をつかないこと」ということを公言し、そしてここまで書いたように毎月のエッセイを読み込んでいるからこそ、筆者はここに書かれていることを受け取るしかない。

とはいえ、彼女のいちファンとして、あの炎上は、どこか心の片隅に残っているものではあって、彼女の名前で検索をかけると、ときどきそういう投稿が出てくる。単純にそんなこと関係がない、という軽い気持ちで済ませられるような人間ではなかった。

実際、あの映像やその裏にある人間関係の解釈は、様々なものが飛び交っていて、正直なところ、真実は全くわからなかった。いじめなんてするわけがないという盲信でも、謝罪してほしいという非難でもなくて、ただただ真実が知りたかった。でも、真実が知りたい気持ちを口にしてしまうことが、どれだけ彼女を追い込むことか、なんなら相手までをも追い込むかもしれないことを、なんとなくではあるけどわかっていて、絶対このことについて口を開くつもりはなかった。

だからこそ、ダムが決壊したような感情が溢れ出てきてしまって、わけがわからなくなってしまったのだと思う。

 

 

 

 

 

欅坂46の運営は、起こったことや噂・憶測といったものに対して、基本的に沈黙を貫いていたから、当時の運営が静観すると判断したことは明らかだった。

そもそも、いじめが仮にあったとして、当人たちの間で解決していてくれれば、それ以上は何も望まないのだが、彼女が当時18歳・相手が21歳と、もう子供と言えるような年齢でもなく、それなりに大きな話にもなったから、あの事件が二人の中でどういうことになっているかだけは、どうしても気になっていた。

その後の二人の関係性を見れば、まったく険悪なところはなかったのだが、その分だけ逆説的に、その関係性が作り物のように見えそうになる自分もどこかにいた。今思えば、当人たちには、おそらく起きたことに対する意識があって、それがほんの少しだけ透けて見えていたのだろうと思う。だからこそ、W-KEYAKI FES. 2021の3日目、現地で「最高かよ!」という言葉が聞こえたとき、そして、その後の「レコメン!」でその真意が語られたとき、本当に気持ちが軽くなったのを覚えている。

この本に書かれていることが「真実」*1であると認められるためには、相手の言葉が必要なのかもしれないが、まずは、本人の言葉できちんと語ってくれたことが、とにかく嬉しかった。

欅坂時代には、彼女だけでなく、色々なメンバーに対して、様々な噂や憶測が飛び交うこともあった。今でさえ、何が真実で、何が嘘だったのか、明確に語れる人間はそんなにいないはずだ。そんな中で、欅坂46と長濱ねるさんから力をもらっていた。いつまでもこの21人には感謝を捧げたいという気持ちだけは確かで、だからこそ、なんとか折り合いをつけて、気になる気持ちを押し殺しながら生きていた。そんな日々もあったことを、じんわりと思い出す。

この炎上についても、真実か嘘かわからないことの一つだと言われてしまえば、納得するしかないのだが、それでも、本人たちの口から何か言葉が欲しかったというのが本音だ。

何なら、誰にも言えていない秘密なんてたくさんあるのだろうと思う。「人は誰しも秘密を抱えながら生きていく」と言われることは多いが、芸能界がそんなありふれた言葉で片付けられるほど生易しい世界ではないことは、なんとなくわかっている。

だからこそ、2020年7月7日の19時くらいに、当時の平手さんのオフィシャルサイトのURL規則通りに、 nagahamaneru.jp/s/nn にアクセスして、少し異変を感じたとき、「ああ、本当に帰ってくるんだ。いやでも、芸能界につらい思いがあるのだとしたら、またそういう状況になってほしくはない。」みたいな気持ちがあったのを、今でもはっきりと覚えている。

とはいえ、あれから3年、筆者の考えも変わり、彼女も考え方が変わったと口にしており、そして世間の考えもおそらく大きく変わった。いま振り返れば、2010年代後半というのは、噂や憶測といったものに対して、静観するのがいいのか、態度を明確にするのがいいのか、その明確な転換点だったように思う。だからこそ、あの当時の感覚と知識で物事を語り続けてはいけないのだと、こうして何か新しいことが明らかになるのならば、認識をアップデートして語らなければいけないのだと心に誓った。

 

 

 

 

 

そして、このことが彼女の心に重くのしかかっていて、こうして語るしかないくらいまで追い詰められていたことと、それを証明するかのように、普段のエッセイとは違う、ある意味で「ありのまま」の文体で書かれていることに、胸が苦しくなる。

それでも、文章を書きながら生きている人間として、何年経ったとしても、正しく説明することは、前に進むために必要なことなのだろうと信じたい。

そして、何が起こったとしても、欅坂46と長濱ねるさんを見て過ごしてきた日々はなくならないし、なんなら、筆者自身の人生にも、欅坂46というグループに対しても、苦しい気持ちがあったからこそ、あの頃が「青春」に思えてくるのだろうと思う。

 

*1:ここでは「真実と信じるに足る」くらいの意味。

僕にとっての知的なアイドルと、影山優佳さん

今日は、影山優佳さんの卒業セレモニーの日だった。いつからか、僕はアイドルの卒業に際して、文章を書き連ねるようになった。アイドルの卒業とは、そのアイドルが積み上げてきた歴史を、ときに本人と一緒に振り返るような、そういう瞬間だ。そうやって振り返ることで、感謝の気持ちが高まる。

 

欅坂で「人生」を取り戻し*1、けやき坂で「感情」を取り戻した僕にとって、欅坂とけやき坂の32人には、総体として感謝がある。だからこそ、卒業のときには、きちんと感謝を表現したいし、32人全員が卒業するまでは追い続けるつもりでいる。

一般に、アイドルの卒業に際して、感謝の気持ちだけを表現するのが正しいのだろうという思いはある。でも、感謝を表現するにあたって、その感謝がどういうものなのか、具体的に言語化しないと気が済まないタイプの人間だ。むしろ、そうすることではじめて自分の感情を捉えることができる。これから綴る文章は、そういうタイプの人間だからこそ生じた、影山さんに対する感謝の表現だと思ってほしい。

 

そもそも僕が影山さんに対して抱く感情は、なんとも表現しがたいものだ。「推し」というほど、途方もなく好きと言えるわけではなく、かといって32人のうちの一人と割り切れるほどでもない。

僕は知的なアイドルに興味を持つ傾向にある。 ただ、一口に「知的」といっても、その性質は様々だ。まずは影山さんの知性というものを紐解いてみたい。

 

デビュー当初の影山さんは、どちらかというといわゆる優等生という感じだった。当時から筑波大学附属中学校・高等学校(筑附)に通っていることはファンの間では知られていて、妄想みらいヒストリーでは東大に入学することを挙げていた。幼少期からスポーツもやっていて、サッカーが好きで、そして努力することが好きな、いわゆる万能な秀才タイプという印象を持っていたように思う。

本人の持つ力なのか、筑附という学校の教育の賜物なのか、はたまたアイドルという仕事から得たことなのかはわからないが、ただの優等生で終わらないところが、彼女の特異なところだ。2020年5月、学業のための休業から復帰してからは、優等生とはまた違った雰囲気があった。

アイドルは、行った道を戻ってくることはできない。大きな場面で、試行錯誤という過程をそう簡単には許してもらえない。その意味で、アイドルとは本当に残酷なものだ。だからこそ、考えに考え抜く力が、アイドルをやる上での彼女の武器になったのだろう。アイドルとして自分がどうあるべきかを自分の中で確立し、それを徹底的に実践する。そういうところに、並外れた知性を感じた。

個人プロデュースをそこまで熱心にしない坂道グループだからこそ、これだけセルフプロデュースできる人間が映える。インスタからブログ、トークまで、自分の見せ方や情報の出し方は徹底されている。それは同時に、隠し通したいと思ったことは、隠し通せるだけの力があるということでもある*2。だからこそ、本当の彼女を見つけ出すのは難しい。少し弱さや感情を見せるときが、ひとりの人間としての影山さんの魅力だと思うが、それでさえ、ある程度はコントロールしているように思う。それでも極稀に垣間見える本音と、クイズ番組を舐め回すように見て見つけた思考の癖をもとに、思考を巡らせる。

まず、クイズ番組に出ている彼女を見ていてよくわかることは、彼女の完璧とも思える自己分析だ。 本人が血の滲むような努力をしていることも知っているが、彼女の出るクイズ番組の共演者の強さや経験値は凄まじいもので、そういう人たちと比べてしまうと、クイズの実力は少し劣っている。でも、解説する場面、相槌や拍手、応援する姿やリアクション、そういうところに、他の人に代替されない自分の役割を見出している。 オードリーの春日が強すぎて出禁になった、なんていう噂も知っていて、クイズ番組における正しい姿を考えた結果なのかもしれない。*3

 

そもそも、「賢い人」とはどのようなものだろうか。賢さとは、おそらく基礎的な知識と、思考力や表現力によって形作られる。とはいえ、あくまでそれは賢さの土台の部分であって、ひとくちに「賢い人」といっても、それぞれ特化しているものがある。逆に言うと、どこかの賢さに特化しないと、自分の役割を見出しづらくなってしまう。

例えば、どんなことにも全力で努力する、完璧主義に近いタイプ*4、語彙や表現を追究することに力を向けるタイプ*5、興味のある一つのことを知識・思考の両面で徹底的に突き詰めようとするタイプ*6、主に自分に対して分析的思考や哲学的思考を深めようとするタイプ*7など、様々ある。*8

一般に頭がいいとされる人間は、自責思考と自己肯定感の低さがある。自分の問題点が客観的に見られるからということでもあるし、少しだけ知的な自己防衛の意味合いもあるように思う。自分に対する思考が強くなる人間は、自分を客観的に見るようになってしまう。

影山さんは特にその傾向が強いと感じる。ワールドカップで爆発的に売れたときに、売れたことそのものよりも、客観的に評価しても自分を肯定的に見られるようになる、つまり自己肯定感を高めるきっかけになりうることが、僕は何より嬉しかった。もちろん周囲のプロデュースと少しの奇跡があることは前提として、サッカーへの熱量をずっと注いできた影山さんでなければ、あの立ち回りはできるはずがない。

その意味で、影山さんが日向坂での最後の仕事として臨んだワールドカップが、本人にとっても肯定的に働いたと信じるしかない*9し、結果として少しだけ安心して送り出せるようになったと思う。*10

 

影山さんは、関係者の誰よりも深く考えることができる人間であって、自分自身の置かれている状況も客観的に理解しているはずだ。日向坂が好きで、日向坂にいたくてたまらないはずの本人が、日向坂に「迷惑をかけずに」*11いられる方法を、必死に考えた結果が卒業なのだ。悔しくないはずがない。

ここまで綴ってきた通り、「必死に考えた」という6文字は、おそらく何百時間という思考に裏打ちされた、本当に救いのない6文字である。 周りの人たちは日向坂にいることを認めてくれるに違いないが、そういうことではない。自分がいることで変わってしまう未来に、納得がいかないのだと思う。

少なくとも、かつて同じような状況に置かれたとき、僕は納得がいかなかった。

必死に自分が納得して生きていく未来を探して、何百時間考えても先が見えなくて、欅坂46の曲に少しだけ勇気をもらって、踏み出した一歩に命を救われた。思考することの限界を見て、少し嫌になったのと同時に、人生を取り戻させてくれた、当時の欅坂の32人に永遠の感謝を捧げると決めた。

影山さんが大学受験を諦めざるを得なくなって、メンバーの言葉を頼りに日向坂に戻ってきたときに味わった感覚と、そこで芽生えた日向坂に対する「好き」という感情が、少しだけわかるような気がする。

 

問題にぶち当たったとき、思考で解決することが、いわゆる「頭のいい人間」の性質であるということは否定しようがない。思考によって問題を解決することを要求されてきた、言い方を強くすれば、強制され続けてきたという部分もあるだろう。 思考を続けること、特に自身を振り返る思考を続けることは、どこまでも孤独で、そしてどこまでも救いがない。自分の一挙手一投足を振り返り、ほんの一ミリでも改善しようと思考を重ねる。100時間でも200時間でも、思考の海に潜っては、本当にわずかな成果だけを得て帰ってくる。ひたすらシミュレーションを重ねて、ああでもないこうでもないと考えて1日が終わる。

哲学的思考といえばいいだろうか、こういった思考を鍛えられた人間が、幸せを感じるのはとてつもなく困難だ。好きという感情さえ、感じることは難しい。 現に僕自身、いまだに「僕は影山さんのことが好きだった」と自信を持って言うことができない。ここまで綴ってきたのは、そういう人間の悲哀だ。 *12

仲間がいないとかそういうことではなく、本質的に自分と闘いつづけることは、途方もなく孤独だ。そういう孤独な生き方を強いられたであろう人間が、時には見せかけかもしれないが、笑顔でカメラの前に立っていて、影山さんその人にしかできない仕事をしている。あり得た姿とはまったく思わないが、自分自身の孤独な生き方を、本当に深く肯定してくれる存在だったのだと思う。

 

アイドルにこんな救われ方をする人はそうそういないだろう。共感してほしいなんていう思いが全くないというと嘘になるが、こんな奇怪な人もいるんだと笑い飛ばしてもらって構わない。それでもこうして綴るのは、救われ方の数だけ、アイドルは強くなるのだと信じているからだ。

 

そして、影山さんの今後を少しだけ考えてみる。サッカー番組でのコメンテーターとしての立ち位置を確立し、クイズ番組にも準レギュラーかのように出演し、そして女優としても評価の高い彼女のことだから、今後どんな道を選んでも生きていくことはできるのだろうと思う。

でもそういう表面的なこととは関係なく、本当に幸せに生きていてほしいし、彼女が幸せに生きていることが、僕自身が幸せに生きていく道があることの証明のように感じる。結局、僕は影山さんに感情移入しているのだろう。

だからこそ、影山さんが、自分を愛して生きていくことができるようになるその日まで、見続けていきたいと思う。

*1:詳しくは「菅井友香卒業のいま、欅坂46を語り直す」を読んでほしい。

*2:学業による休業から戻ってきて、「大学受験がうまくいかなかった」ということにしていて、テレビ番組でもその体で弄ってもらおうとしていたが、実際には原因不明の体調不良によって大学受験そのものを諦めざるをえなくなっていた。そして、そのことを、『セルフDocumentary of 日向坂46』まで秘密にしていた。

*3:手加減をしているという話ではなく、身につけるのに時間がかかるクイズの実力以上に、すぐに力を発揮できる分野を探したという意味である。東大王とQさま以外のクイズ番組では、リアクションにかなり力を入れているように見えるが、東大王の対策なども十分にしたのだろう、特に最近の東大王などでは、集中して問題に向き合う姿を見せるようになったように思う。

*4:坂道グループで当てはまる人を挙げると、休業前の影山さん

*5:長濱さんや山﨑怜奈さん

*6:池田瑛紗さん

*7:後述するが、復帰後の影山さん

*8:蛇足だが、この4人とその出身校とされる中学校や高校の組み合わせを、知らなかったとしても当てられるくらい、学校の教育による影響があるのだろうとは思う。

*9:「信じるしかない」という言葉はやや直感的だが、実際には「おそらくそうだという心証があるが、それを論理的に示せるほどの根拠はないけれども、そうでなければ重大な問題が生じるので、そうであると信じる以外に方策がない」という意味で使っている

*10:「少しだけ」というのは、影山さんにとっての自己肯定感との闘いは、そんなに簡単なものではないのだろうという不安があるからだ。

*11:本人の主観として

*12:念のため、影山優佳さんの「サッカーが好き」というのは、どちらかというと「分析対象として興味深い」という方向の「好き」であって、感情としての「好き」とはまた違うと解釈している。

『「重箱の隅に宇宙を感じる者同士」』に見るアイドルの精神性

 新潮社のPR誌である「波」という雑誌は、手に入れるのが簡単なようでとても難しい。こういうPR誌は一般に、出版社から全国の書店に送られ、店頭で無料配布されるのだが、この「波」はとくに、発売日であってもなかなかお目にかかることができない。人気のあるタレントやアイドルが出ることも多く、そのときにはなおさらだ。

 推しが誌面に登場するのはこれで3度目になるだろうか。書店を何店舗か巡って、なんとか2023年1月号の「波」を手に入れた。

 

 2021年11月号の「ダ・ヴィンチ」だっただろうか、肩書きに悩む推しのエッセイを見ながら、推しがどんな道を選ぼうと応援し続けようと決意を新たにした。そんな決意を思い出すような対談だった。

 言い方が難しいが、推しはアイドル時代から、ふつうのアイドルとは少し違うというか、独特な感覚と強い意志を持っていたように見えた。それは、アイドルになろうと思ったきっかけによるものなのかもしれないし、欅坂46の楽曲の影響もあるのかもしれないが、よくよく見ていると、そういう片鱗を見せるときがあった。

 とはいえ推しは、欅坂46という特殊なアイドルグループのなかにあって、「王道アイドル」と言われるようなルックスと愛嬌がある人でもあったわけで、そんなイメージに沿うように生きていこうとしていたんだろうということは、なんとなくわかっていた。

 それこそ先日、『人生最高レストラン』に推しが出演したとき、最初のお酒は一人で飲んでいた話をしていたが、そういう姿のほうにこそ納得してしまう。これはこれでまた別のステレオタイプを押し付けているような気がしないではないが。

 

 話をアイドルに戻すと、アイドルとは、いつ何時もイメージ通りに振る舞うことが求められてしまう。でも、素の姿と世間のイメージが近いことはなかなかない。「アイドルに向いている精神性」と「アイドルを長く続けられる精神性」は別物だという話をどこかでしたことがあるが、「アイドルに向いている精神性」とは、世間のイメージ通りの自分を演じようとするものであり、「アイドルを長く続けられる精神性」とは、世間のイメージのほうを自分に近づけていこうとする、そんなものなのではないかと思った。

 世間のイメージ通りの自分を演じることには、そう遠くないところに限界が来る。でも、そのイメージにハマったときに生み出されるエネルギーは、信じられないほどに大きい。筆者もそんなエネルギーに引き寄せられるように、推しに出会った人間だ。

 推しは、本人が語る通りイメージから外れることへの怖さがあるのと同時に、イメージ通りに振る舞うことが(完全ではないにしても)できる人間でもある。だからこそ、「アイドルに向いている」人なのだろうとさえ思う。

 

 推しがアイドルを卒業した後も、アイドル的な扱いを受ける姿を数多く見てきている。たしかにそういうときの推しはわかりやすく輝いている。とはいえ、エッセイやこういった対談では、少しずつ素に近い姿を見せるようになったと思うし、その姿にこそより惹きつけられている。

 こういう言葉を人に使うのはどうかと思わないではないが、「ファンは推しに似る」という言葉がある。推しの推しである伊藤万理華に生誕委員がつけた「好きになったのは、ルックス。惚れたのは、才能。」というキャッチコピーに、なんとなく推しを重ねてしまうところがある。

 

 何を言いたいのか分からなくなってしまいそうだが、素を出していくことこそが、人がより魅力的に、個性豊かになっていく方法の一つであると思いたい。そう信じて、推しのこれからを応援しつづけようと思う。

菅井友香卒業のいま、欅坂46を語り直す

 今日11月9日は、欅坂46・櫻坂46の菅井友香の最後のステージだった。

 東京ドームというのは、大概決まってお別れの場所だ。欅坂46の東京ドーム公演から3年、櫻坂46が東京ドーム公演をするとわかったとき、なんとなく、それが何かしらのお別れの場になることは想像がついた。そういうわけで、東京ドームのチケットを2日分取って、何かのお別れをしにいくことにした。結局、大方の予想通り、それは菅井友香とのお別れだったわけだ。でもよく考えてみると、お別れはそれだけではないはずだ。

 2020年7月16日、菅井友香の口から欅坂46との「前向きなお別れ」が告げられ、2020年10月13日をもって、欅坂46というグループは幕を閉じた。もちろん、通称「123事件」と呼ばれる複数メンバーの卒業・脱退があった時点で、グループがこのままの形で存続することは難しいだろうと思っていたが、メンバーも、我々ファンも、欅坂46から本当の意味で未練なく卒業できたわけではないのだろう。

 それから、折に触れて欅坂46の楽曲が「解禁」されることは何度かあった。1期生の卒業セレモニーや卒業コンサートがその機会にあたる。もちろん今日も何曲かの欅坂46楽曲が披露された。そこには欅坂46という「思い出」を最後に振り返りたいという思いを感じずにはいられない。「欅坂46の」ファンも、その日を待ち続けているわけだし、筆者自身もその可能性があるのならと思って、理佐の卒業コンサートや、W-KEYAKI FES. 2022 4日目(振替公演2日目)、そして昨日と今日の東京ドームへ赴いた。

 W-KEYAKI FES.が続くとしても、そこでの欅坂楽曲の存在は薄れていくだろうし、1期生の卒業セレモニー・卒業コンサートという特別な場も、どんなに多くてもあと5回だ。それに、櫻坂46は、欅坂46とは少し毛色を変え、そこに欅坂楽曲が入り込む余地がないほどに完成された世界観でパフォーマンスを表現できるグループになっているということを、昨日まざまざと思い知らされた。*1

 その意味で、欅坂46と本当に「お別れ」しなければいけない日は来るし、もしかしたら「お別れ」は今日だったのかもしれない。きちんと自分の胸の内に、欅坂46を思い出としてしまっておくために、欅坂46とは、ファンにとって、メンバー*2にとって、社会にとって、そして筆者にとって、どういう存在だったのか、解散から2年経ったいま、振り返っておきたい。

 

欅坂46の現在

 いま振り返るからには、まずはじめに、欅坂46とそのメンバーの現在を確認しておかなければならない。欅坂46そのものは、櫻坂46に改名し、活動を行っている。1期生メンバーは今日で残り5人となっただろうか。櫻坂46は、その曲の歌詞やダンスに欅坂46の面影を残しつつ、成長した姿を見せている。

 絶対的エースだった平手友梨奈は、脱退後、女優として活躍している。賛否両論あることは承知しているが、演技力については、かなり高く評価されていると言えるだろう。ただ、欅坂46時代に述べられていた「天才」性というほどのものがあるかというと疑問符がつく。一方で、欅坂46時代のイメージであった無口さ、「多くを語りたくない」あるいは「誤解されたくない」といった感覚とは対照的に、バラエティやオフショットでは楽しそうなトークや笑顔を見せるようになった。*3

 欅坂46の「裏センター」であった長濱ねるは、卒業後しばらくして、タレントとして復帰した。特に、雑誌でのエッセイ連載や、本を題材にしたラジオ、音楽番組のVJなど、文化に関わる仕事に積極的に向かっている印象が強い。中身の賛否はともかくとして、若者のひとりとして、価値観や考えを発信する、そういう役割を担っている。そして、あまりそういった素振りは見せないが芯のある、意志の強いひとでもある。そういったところに、欅坂46の面影が少し見られるのかもしれない。

 残り13人を全員語ると長くなってしまうが、女優、YouTubeSHOWROOM活動、インフルエンサー、クリエイター、モデルなど、様々な方面で活躍している。

 この場で話題にすることが適切かどうかはわからないが、志田愛佳が銀座のクラブで働くことが、10月頭に話題になった。筆者がこのニュースを見た第一感は、驚きというよりも呆れに近い感情であった。たしかに、欅坂46の価値が下がるという考えには頷ける部分も多いが、よく考えてみると、ある意味では欅坂46という「経歴」に縛られず、元メンバーが多方面で活動していることが、「君は君らしく生きていく自由がある」に始まる欅坂46の歌詞世界を体現している証とも言える。*4

 

 「櫻坂46」ではなく「欅坂46」というグループの現在についても振り返っておきたい。欅坂46がその看板を外した今でも、アイドルの楽曲に対して「欅坂っぽい」という評価がなされることがある。そこには、「乃木坂っぽい」や「日向坂っぽい」とは異なり、ある程度明確な基準が存在するように思う。その基準としては、大人や社会に対する反抗的な歌詞と、アイドルソングではあまり見られないダークな曲調、主題となる数名だけを強調するダンスといったものが挙げられるだろう。そして、デビュー曲であり、代表曲である『サイレントマジョリティー』は、発売から6年半経った今でも、アイドルグループの枠を超えた曲として、そして、支配と画一化に対する抵抗を象徴する曲として、多くの人の記憶に残っている。

 その意味で、「欅坂46」とは、かつての「尾崎豊」のように、大人や社会に対する反抗のカルチャーアイコンであり続けている。

 

ファンと欅坂46

 そして、冒頭で述べた通り、かつての欅坂46のファンも、もう一度欅坂46を見たいと思っているのだろうと思う。櫻坂46のライブでも、いや日向坂46のライブでさえ、欅坂楽曲が披露されたときには、ペンライトの振りに気合いが入るし、きっちり振りが揃うのだ。昨日今日と緑一色に、そして赤一色に染まった東京ドームを見ると、自分自身を含めて、本当に欅坂46への未練があったことがよくわかる。

 とはいえ、月日の流れは早いもので、先日、『この歌詞が刺さった!グッとフレーズ』という番組で『サイレントマジョリティー』が紹介された際には、「20代に刺さった曲」であったことは、欅坂46の「僕」に思いを寄せていた人々が、それだけ歳を取ったということを実感させられる。

 ファンの中には、ときどき、「欅坂46は青春だった」という表現をする人たちがいる。欅坂46に『大人は信じてくれない』という曲があるが、何かもがいて生きていこうとするときに、その気持ちに大人はなかなか寄り添ってくれない。青春とは、その意味では孤独なものなのだろうと思う。そんな孤独に寄り添ってくれるのが欅坂46であり、その歌詞世界の「僕」だったのだろう。

 とはいえ、欅坂46の「僕」のように生きていくのは、そう簡単なことではない。香港の周庭や、NGT48の山口真帆のように、欅坂46の歌詞に背中を押され、自分の意思を貫いて生きていこうとした人たちもいる。だが、筆者を含め多くのファンは、「僕」に背中を押されながらも、どこかで意見を言うのを躊躇したり、主張を曲げたりしてしまったことがあるだろうと思う。

 日向坂46の8枚目シングル『月と星が踊るMidnight』*5の歌詞にあるように、「嫌だった世界」に「目を瞑り生きることに 抵抗なくなっ」ていってしまうのが普通なのだと思う。

 とはいえ、「軽蔑していた」大人になりつつある「僕たち」*6が、「物分かりよくなって 流されたくはない」「まだまだ諦めない」という意思を持って生きていくように、欅坂46の「僕」の意思が、我々ファンにも形を変えて残っていると思いたい。*7

 そして、自分たちが欅坂46の「僕」になれなかったとしても、孤独に寄り添ってくれた「僕」は、青春の思い出であり、孤独を感じたときには、ライブ映像や音楽を聞けば、いつでも寄り添ってくれる、いわば「帰ってこれる場所」であり続けているのだろう、とも思う。

 

欅坂46と「21人の絆」

 ここまで、欅坂46を語る中で、2期生に焦点を当てることはできていないし、そのつもりもない。欅坂46の「21人の絆」という言葉について異論があることは理解しているが、欅坂46は様々な事情で「21人」を特別なものとしてきたし、そうせざるを得なかったのは事実だ。まず、21人になってから2期生が実質的に加入するまでの期間が、欅坂46の全活動期間の多くを占め、CDシングル表題曲としては、その21人以外が参加することはなかった。これにはいくつかの事情があり、長濱ねるの特別加入により「けやき坂」のオーディションが行われたこと、そして5thシングルでの漢字とひらがなの合同選抜の話がなくなったこと*8、また同時期にひらがな単独での2期生オーディションが開催されたことにより、2期生オーディションまでの時間が空いてしまったことがある。

 あくまで憶測だが、欅坂46が物語を紡ぐ時間もなく世間に知られてしまったことで、欅坂46というグループのアイデンティティーを、21人という形に求めざるを得なかったという部分もあるのだろう。そして実際に、欅坂46の21人は、歌詞世界を表現することを至上命令として求められ、さらに言えば歌詞世界を体現することまでも求められつつあったのかもしれない*9

 実際に菅井友香は、今泉佑唯の卒業のときに「21人の絆」という言葉を使っているし、1期生には「つらい時期」があったことを最近よく話すようになった。それこそ昨日だって、『世界には愛しかない』のポエトリーをやったのは全員1期生である。欅坂46の21人には後付け的であるとはいえ、特殊性があるのだろうと思う。

 

筆者自身と欅坂46

 筆者自身、かつて、社会で生きていくことを認めてもらえなかったとき、寄り添ってくれたのは、救いだったのは、間違いなく欅坂46だった。そのメッセージを、自分の身体と人生を懸けて届けてくれたメンバーには感謝の念しかない。そんなメンバーを英雄的に語るのはよくないのかもしれないが、たしかにそういう側面はあるし、だからこそ21人が特別なのだと言いたくもなる。

 たしかに、周りから見ればおかしなところがあるのかもしれない。筆者だって、欅坂46というグループが「宗教」と言われても仕方ないということは、今になって振り返ればよくわかる。とはいえ、得てして青春とはそういうものだ。

 あの頃から数年経って、筆者も、なんとか社会で生きていくことができるようになり、長濱ねるのファンとして長崎に足繁く通ったり、日向坂のライブに通ったりするようになった。当時の欅坂46のファンも、平手を追いかけたり、櫻坂を追いかけたり、はたまた普通に社会で生きていたりするのだろうと思う。でも、ふとした時に帰ってこられる場所として、卒業アルバムのように「欅坂46」はたしかに筆者の中に存在する。

 歌詞世界の「大人」と言われるような年齢や立場になった人間として、あの時経験したことを胸に生きていくことが、その「青春」を経験した人間の役割なのかもしれないとさえ思う。*10

 

さいごに

 そして今日は、菅井友香のラストステージだった。彼女は、欅坂46のメンバーでありながら、時に運営サイド以上に矢面に立ち続け、平手とは違う意味で自分の人生を懸けて、我々にメッセージを、救いを届けてくれた存在であった。それは同時に、本当に「僕らしく生きていく」ことができているのか、不安になる存在だということでもあった。

 我々は欅坂46に救われたのだから、次は彼女が幸せになるべきだし、なってほしい。単純に努力が報われてほしいというだけの「幸せになってほしい」ではなくて、本当に苦労している恩人に感謝を込めた「幸せになってほしい」である。

 

 ありがとう、菅井友香。ありがとう、欅坂46

 そんな思いを込めて、この文章を捧げたい。

 

 これだけの長い文章を終演後に書けるわけもなく、ご想像の通り大部分を事前に綴っていたのだが、ここ2日、東京ドームに行った結果、気持ちが抑えきれなくなってしまったので、ここから先は、感情のままに綴らせてほしい。「あの曲」に気持ちを持っていかれて、なんとか戻ってこようとしている。戻ってくるために文章をしたためているような状況であることを断っておきたい。

 自己を社会に承認させることは、現代日本における一種の「戦争」だ。本物の戦争が起きている最中に言うことではないかもしれないが、この「戦争」で人が死んでいくのは紛れもなく事実なのだ。菅井友香も今日、1期生を「一緒に戦ってきた」仲間と表現していたわけで、その象徴としての21人には、まさしく「英雄」だったと言うほかない。その「戦争」こそが「青春」だというのなら、それは劇的で、代替できないもののはずだ。

 平手が欅坂46について何かを語ろうとしないのは、本当に凄惨な体験であり、語ることでまた何かを起こしてしまうからなのかもしれない。21人の「英雄」とは同時に、そういう運命を半ば強制的に背負わされた21人でもある。そんな歴史を、「心の片隅に」なんていうありふれた言葉で片付けたくない。必ず覚えていなければいけないのだ。

 さて、その「戦争」で、我々は社会を変えられたのだろうか。欅坂46は社会を変えられたのだろうか。まだ筆者自身にはわからないが、変えられたのだと信じたい。だとしたら、それを語り継ぐことが使命である。今泉佑唯の引退発表があったばかりだが、ああいうことに対して、きちんと声をあげることこそが、我々に課された使命の一つなのだろうとさえ思う。

 そして今日、菅井友香が卒業するに際して、『不協和音』という楽曲を披露することを選んだことに、本当に感謝してもしきれない。魔曲とまで呼ばれたこの曲は、その「戦争」を象徴するような曲であって、欅坂46が、平手友梨奈が、自らの身体を犠牲にしながら届けてくれた曲である。この頃には菅井自身、つらい記憶があるのだろうと思うし、披露しない選択肢だっていくらでもある。どんなに商業的に必要とされても、センターに立つ人間が望まないならやるべきではない。それを多くの人がわかっている。それだけの魔力のある曲である。

 たしかに、「欅坂46の」不協和音を聞けるとしたら、そのチャンスは今日で最後だった。筆者も記憶を半分飛ばしているのだが、イントロが流れた瞬間に、地響きや呻きとでも言うべきなのだろうか、そういう歓声が上がったのは耳に焼き付いている。曲披露後の聞いたこともない音量の拍手を聞けば、この曲に、どれだけの人が救われてきたかがわかる。筆者もその一人だ。

 そんなファンの気持ちを知ってか知らずか、いや知っていると信じているが、最後にこの曲が聞けたことが、見られたことが、本当に救いなのだ。

 

 改めて、7年間ありがとう。欅坂46はもう戻れない場所なのかもしれないけど、確実に世界を、我々を変えてくれたのだと信じて。

 

*1:昨日の1日目がフルの演出で、今日は時間の都合で演出が一部カットされていたはずだ

*2:以下、特に断りのない限り、卒業・脱退しているかどうか、またその時期にかかわらず、(漢字表記の)欅坂46に所属していたことのある人を「メンバー」と呼ぶことにする。

*3:個人的には、演じる役と自分自身が分離されたことが大きな理由ではないかと思う。欅坂の歌詞世界の「僕」と一体化しようとしていったことが、彼女の精神にどれだけ影響を与えたのかと考えると、感謝の念を感じずにはいられない。

*4:その意味では、我々は欅坂46のメンバーを支配しようとする「大人」の側になってしまったのかもしれない。

*5:本題から逸れるが、おそらくこの曲の歌詞はドキュメンタリー映画『希望と絶望』に対する、秋元康なりの日向坂メンバーへのアンサーでもあるのだろうと考えている。(欅坂46『避雷針』のように、秋元康が、メンバーへのメッセージを歌詞によって届ける例は多くある。)

*6:欅坂46の「僕」と『月星』の「僕たち」は明確な対比であって、仲間の存在さえ危うい欅坂46の孤独さを、より際立たせている

*7:この意味で、欅坂46の歌詞に思い入れが強いであろう齊藤京子のセンター曲をこの曲にしたことは納得がいく

*8:合同選抜案の存在と、実際に合同選抜が実現しなかったこと自体は現在の日向坂メンバーがラジオで語っているのでおそらく事実である。その理由については一部で報道されているものもあるが、ここでは触れないこととする。

*9:求めていたのは社会であり、ファンであり、周りの作り手であり、メンバー本人たちなのだろうと推測する。

*10:念のため補足しておくと、多くの人々に青春や古巣という場所は存在するのだろうと思うし、それが我々にとってはたまたま欅坂46だったというだけの話なのだと思う。

『3回目のひな誕祭』―東京ドームのその先の物語

 つい先日、「約束の彼の地」こと東京ドームでの日向坂46のライブがあった。当然行ってきたわけだが、この地に来るまでの「物語」は、壮絶なものだったことは言うまでもない。筆者の立場として、「長濱ねるとその他」という言葉を使うのは避けたい気持ちもあるが、そう言わざるを得ない状況があったのは事実だし、武道館3daysの成功に始まり、坂道をかけ上がってきた22人、いや25人の強さには、脱帽する他ない。

 

 そして、東京ドーム公演として、選んだセットリストは、これまでの歴史を振り返り、その先へと進んでいく姿を見せるものだった。

 初日の1曲目の『ひらがなけやき』は、このグループの「はじまりの曲」であったわけで、その「一本の欅から 色づいて」いった姿が2曲目の『キュン』なのだと思うと、そういう歴史を振り返らずにはいられない。「12人のひらがなけやき」から始まり、『それでも歩いてる』から11人になったとはいえ、「ねるちゃんの椅子」を置く振り付けを残し、そうやって全員の思いを乗せて紡いできた「物語」を、あの2日間で完結させるのだ、という思いも同時に感じた。

 あの3人も、31日には東京ドームに来ていたという話だし、関係者席はバックネット裏だったという噂だから、『それでも歩いてる』はあっち側のステージで披露したんだろうなとか、色々言いたいことはあるが、素晴らしいレポートは上がっているので、そちらに任せることにしたい。

 ただ、同時にひらがな曲の大半を聞く機会はもうないのだろうなぁと思ったし、それこそ11人・12人のひらがな楽曲の一部は、これで最後なのかもしれないなぁと思いながら見ていた。そういう覚悟の上で見ていたし、そういう覚悟があったからこそ、その最後かもしれない瞬間に立ち会えたことが、そして、これが日向坂46の正史として刻まれることが、「ひらがなけやき」最初のメンバーのファンとして、幸せだったのかもしれない。

 

 数多くのアイドルグループにとって「東京ドーム」とは目標の地であるし、けやき坂46・日向坂46は、それを目標に掲げて歩んできたグループである。そういう明確な目標があるからこそ、絆や友情が生まれ、「物語」も生まれたのだろうと思う。

 東京ドーム公演を行った数多くのアイドルグループにとって、東京ドームとは「物語」の終わりの地であったことは言うまでもない。国立競技場とか、これより大きいキャパを持つ場所がないわけではないが、それでも国内最大級である東京ドームを埋められるということの先に、客観的な指標で言えば、それ以上のことはあまりない。

 そういう理由もあるのだろう、東京ドームのその先に明確な「物語」を描けたアイドルグループは、筆者の知る限り存在しない。

 

 欅坂46がそういう「物語」を紡ぐ時間もなく、楽曲とダンスパフォーマンスを武器にブレイクしたこととは対称的に、けやき坂46・日向坂46は「物語」を紡ぐことで強くなってきたグループである。それがあの3脚の椅子であり、1日目En.『日向坂』を披露するときに濱岸ひよりのタオルを全員が肩にかけている姿に表れているのだろう、と思う。

 東京ドームというものが一つの曲がり角であることは、抗いようのない事実であるし、渡邉美穂が卒業を決心した理由の一つには、東京ドーム公演があるのだろうと思う。

 もちろん、日向坂46がグループとして成長する余地はまだまだあるとは思うし、そのための4期生募集オーディションなのだろうとは思う。現在(というと色々あるので去年くらいまで)の乃木坂46の形であれば、グループが成長し存続していくことに、疑いの余地はないと思う。ただ、その姿に「物語」を描くことは、困難なことだと思う。

 困難があるからこそ、期待してしまう自分もいるし、その姿を見守っていたいと改めて思ったのかもしれない。

『夕暮れの昼寝』第十四寝―アイドルとは何者か―

 月日の流れは速いもので、推しが芸能活動を再開してから、もう1年以上が過ぎた。今月の『ダ・ヴィンチ』に、どうしても触れたくなることが書かれていたので、久々に筆を走らせている。

 

 2年前の7月30日、アイドルという職業に対する苦しさと、推しにはどこか違う世界で幸せに生きていてほしいという希望を抱いて、幕張メッセを後にした。そのとき推しから伝えられたことを受け取れていたのか、いま、その答え合わせをされたような気分だった。

 正直、そのときは芸能界にはもう戻ってこないと、ほぼ確信していた。それこそ、卒業後、表舞台から去る、その形自体には、たくさん前例がある。山口百恵はともかく、橋本奈々未嗣永桃子の去り方を、当然推しが知らないはずもない。だからこそ、伝説のアイドルとして、その存在を記録と記憶に残しておきたかった。

 

 そういえば、推しが復帰するほんの数日前、橋本奈々未が美容室のSNSで顔を出したことがあった。推しもこんなふうに、どこかで生きていることさえ確認できればなぁ、と思っていたような気がする。それこそ、「約束の彼の地」に来ないことはないと思っていたし、その関係者席を見るためだけに高倍率の双眼鏡を買いたいと思ったことは幾度となくある。

 その数日後、オフィシャルサイトのドメインが取得されたという話が持ち上がった。正直、推しが芸能界で生きていくとして、どういう仕事をするのか、どんな仕事なら楽しくやっていくのか、分からなかったところはあった。ただ、7月7日深夜、もしかしたらと見ていたセブンルールに出ていた推しを見た瞬間に、そんな考えは吹き飛んでしまった。

 

 それから1年、推しはラジオからエッセイ、TIFのチェアマンに至るまで、様々な仕事をこなしている。もちろん、筆者もいち社会人だから、全てが全て楽しい仕事であってほしい、なんて言うつもりはないが、推しが楽しんでいる姿を見るのが、筆者にとっての最高の幸せであることは言うまでもない。

 推しの職業は何だ、と聞かれたら「タレント」とか「元アイドル」とか答えるのだろうと思う。でも、「職業」という属性に、価値があるのかと疑問に思う。長濱ねるは長濱ねるであって、他の何者でもない。それでいいじゃないか。

 『ここから』という推しの写真集に、秋元康が付けた帯の文章を思い出す。「長濱ねるは、謙虚だ。いつだって、自分にはまだ何もないと言う。だから、”ここから”が楽しみだ。」その通りでいいと思うし、その通りであってほしい。どこかで自分自身を見つけて、その道に進んでいくなら、それを応援したい。

 そうやって、「3度目の人生を変える日」が訪れたとしても、あまつさえ、また推しを見ることができなくなったとしても、それでいいという思いはあるし、いつかそういう日が来るのだろうという覚悟はある。とにかく、推しがファンのために生きていくのは、また推しの心が壊れてしまうような気がするし、推しには自分自身のために生きてほしい。推しがどんな選択をしようと、推しを応援しつづける、それくらいの気概で推しというのは選ぶものだと思っている。

 

 かつて、筆者が初めて推した「アイドル」に、こんなことを言った覚えがある。

  「自分が人を幸せにしていたことに自信を持ってほしい」

 まさにその通りのことを伝えたい、と思ってしまう。どんな生き方を選択したとしても、推しがファンを、そして周りの人を幸せにしていた事実は変わらない。そんな事実が推しの生きていく糧になるのなら、これ以上嬉しいことはない。