the end of an era

You are free to be who you are.

『「重箱の隅に宇宙を感じる者同士」』に見るアイドルの精神性

 新潮社のPR誌である「波」という雑誌は、手に入れるのが簡単なようでとても難しい。こういうPR誌は一般に、出版社から全国の書店に送られ、店頭で無料配布されるのだが、この「波」はとくに、発売日であってもなかなかお目にかかることができない。人気のあるタレントやアイドルが出ることも多く、そのときにはなおさらだ。

 推しが誌面に登場するのはこれで3度目になるだろうか。書店を何店舗か巡って、なんとか2023年1月号の「波」を手に入れた。

 

 2021年11月号の「ダ・ヴィンチ」だっただろうか、肩書きに悩む推しのエッセイを見ながら、推しがどんな道を選ぼうと応援し続けようと決意を新たにした。そんな決意を思い出すような対談だった。

 言い方が難しいが、推しはアイドル時代から、ふつうのアイドルとは少し違うというか、独特な感覚と強い意志を持っていたように見えた。それは、アイドルになろうと思ったきっかけによるものなのかもしれないし、欅坂46の楽曲の影響もあるのかもしれないが、よくよく見ていると、そういう片鱗を見せるときがあった。

 とはいえ推しは、欅坂46という特殊なアイドルグループのなかにあって、「王道アイドル」と言われるようなルックスと愛嬌がある人でもあったわけで、そんなイメージに沿うように生きていこうとしていたんだろうということは、なんとなくわかっていた。

 それこそ先日、『人生最高レストラン』に推しが出演したとき、最初のお酒は一人で飲んでいた話をしていたが、そういう姿のほうにこそ納得してしまう。これはこれでまた別のステレオタイプを押し付けているような気がしないではないが。

 

 話をアイドルに戻すと、アイドルとは、いつ何時もイメージ通りに振る舞うことが求められてしまう。でも、素の姿と世間のイメージが近いことはなかなかない。「アイドルに向いている精神性」と「アイドルを長く続けられる精神性」は別物だという話をどこかでしたことがあるが、「アイドルに向いている精神性」とは、世間のイメージ通りの自分を演じようとするものであり、「アイドルを長く続けられる精神性」とは、世間のイメージのほうを自分に近づけていこうとする、そんなものなのではないかと思った。

 世間のイメージ通りの自分を演じることには、そう遠くないところに限界が来る。でも、そのイメージにハマったときに生み出されるエネルギーは、信じられないほどに大きい。筆者もそんなエネルギーに引き寄せられるように、推しに出会った人間だ。

 推しは、本人が語る通りイメージから外れることへの怖さがあるのと同時に、イメージ通りに振る舞うことが(完全ではないにしても)できる人間でもある。だからこそ、「アイドルに向いている」人なのだろうとさえ思う。

 

 推しがアイドルを卒業した後も、アイドル的な扱いを受ける姿を数多く見てきている。たしかにそういうときの推しはわかりやすく輝いている。とはいえ、エッセイやこういった対談では、少しずつ素に近い姿を見せるようになったと思うし、その姿にこそより惹きつけられている。

 こういう言葉を人に使うのはどうかと思わないではないが、「ファンは推しに似る」という言葉がある。推しの推しである伊藤万理華に生誕委員がつけた「好きになったのは、ルックス。惚れたのは、才能。」というキャッチコピーに、なんとなく推しを重ねてしまうところがある。

 

 何を言いたいのか分からなくなってしまいそうだが、素を出していくことこそが、人がより魅力的に、個性豊かになっていく方法の一つであると思いたい。そう信じて、推しのこれからを応援しつづけようと思う。