the end of an era

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『3回目のひな誕祭』―東京ドームのその先の物語

 つい先日、「約束の彼の地」こと東京ドームでの日向坂46のライブがあった。当然行ってきたわけだが、この地に来るまでの「物語」は、壮絶なものだったことは言うまでもない。筆者の立場として、「長濱ねるとその他」という言葉を使うのは避けたい気持ちもあるが、そう言わざるを得ない状況があったのは事実だし、武道館3daysの成功に始まり、坂道をかけ上がってきた22人、いや25人の強さには、脱帽する他ない。

 

 そして、東京ドーム公演として、選んだセットリストは、これまでの歴史を振り返り、その先へと進んでいく姿を見せるものだった。

 初日の1曲目の『ひらがなけやき』は、このグループの「はじまりの曲」であったわけで、その「一本の欅から 色づいて」いった姿が2曲目の『キュン』なのだと思うと、そういう歴史を振り返らずにはいられない。「12人のひらがなけやき」から始まり、『それでも歩いてる』から11人になったとはいえ、「ねるちゃんの椅子」を置く振り付けを残し、そうやって全員の思いを乗せて紡いできた「物語」を、あの2日間で完結させるのだ、という思いも同時に感じた。

 あの3人も、31日には東京ドームに来ていたという話だし、関係者席はバックネット裏だったという噂だから、『それでも歩いてる』はあっち側のステージで披露したんだろうなとか、色々言いたいことはあるが、素晴らしいレポートは上がっているので、そちらに任せることにしたい。

 ただ、同時にひらがな曲の大半を聞く機会はもうないのだろうなぁと思ったし、それこそ11人・12人のひらがな楽曲の一部は、これで最後なのかもしれないなぁと思いながら見ていた。そういう覚悟の上で見ていたし、そういう覚悟があったからこそ、その最後かもしれない瞬間に立ち会えたことが、そして、これが日向坂46の正史として刻まれることが、「ひらがなけやき」最初のメンバーのファンとして、幸せだったのかもしれない。

 

 数多くのアイドルグループにとって「東京ドーム」とは目標の地であるし、けやき坂46・日向坂46は、それを目標に掲げて歩んできたグループである。そういう明確な目標があるからこそ、絆や友情が生まれ、「物語」も生まれたのだろうと思う。

 東京ドーム公演を行った数多くのアイドルグループにとって、東京ドームとは「物語」の終わりの地であったことは言うまでもない。国立競技場とか、これより大きいキャパを持つ場所がないわけではないが、それでも国内最大級である東京ドームを埋められるということの先に、客観的な指標で言えば、それ以上のことはあまりない。

 そういう理由もあるのだろう、東京ドームのその先に明確な「物語」を描けたアイドルグループは、筆者の知る限り存在しない。

 

 欅坂46がそういう「物語」を紡ぐ時間もなく、楽曲とダンスパフォーマンスを武器にブレイクしたこととは対称的に、けやき坂46・日向坂46は「物語」を紡ぐことで強くなってきたグループである。それがあの3脚の椅子であり、1日目En.『日向坂』を披露するときに濱岸ひよりのタオルを全員が肩にかけている姿に表れているのだろう、と思う。

 東京ドームというものが一つの曲がり角であることは、抗いようのない事実であるし、渡邉美穂が卒業を決心した理由の一つには、東京ドーム公演があるのだろうと思う。

 もちろん、日向坂46がグループとして成長する余地はまだまだあるとは思うし、そのための4期生募集オーディションなのだろうとは思う。現在(というと色々あるので去年くらいまで)の乃木坂46の形であれば、グループが成長し存続していくことに、疑いの余地はないと思う。ただ、その姿に「物語」を描くことは、困難なことだと思う。

 困難があるからこそ、期待してしまう自分もいるし、その姿を見守っていたいと改めて思ったのかもしれない。