the end of an era

You are free to be who you are.

僕にとっての知的なアイドルと、影山優佳さん

今日は、影山優佳さんの卒業セレモニーの日だった。いつからか、僕はアイドルの卒業に際して、文章を書き連ねるようになった。アイドルの卒業とは、そのアイドルが積み上げてきた歴史を、ときに本人と一緒に振り返るような、そういう瞬間だ。そうやって振り返ることで、感謝の気持ちが高まる。

 

欅坂で「人生」を取り戻し*1、けやき坂で「感情」を取り戻した僕にとって、欅坂とけやき坂の32人には、総体として感謝がある。だからこそ、卒業のときには、きちんと感謝を表現したいし、32人全員が卒業するまでは追い続けるつもりでいる。

一般に、アイドルの卒業に際して、感謝の気持ちだけを表現するのが正しいのだろうという思いはある。でも、感謝を表現するにあたって、その感謝がどういうものなのか、具体的に言語化しないと気が済まないタイプの人間だ。むしろ、そうすることではじめて自分の感情を捉えることができる。これから綴る文章は、そういうタイプの人間だからこそ生じた、影山さんに対する感謝の表現だと思ってほしい。

 

そもそも僕が影山さんに対して抱く感情は、なんとも表現しがたいものだ。「推し」というほど、途方もなく好きと言えるわけではなく、かといって32人のうちの一人と割り切れるほどでもない。

僕は知的なアイドルに興味を持つ傾向にある。 ただ、一口に「知的」といっても、その性質は様々だ。まずは影山さんの知性というものを紐解いてみたい。

 

デビュー当初の影山さんは、どちらかというといわゆる優等生という感じだった。当時から筑波大学附属中学校・高等学校(筑附)に通っていることはファンの間では知られていて、妄想みらいヒストリーでは東大に入学することを挙げていた。幼少期からスポーツもやっていて、サッカーが好きで、そして努力することが好きな、いわゆる万能な秀才タイプという印象を持っていたように思う。

本人の持つ力なのか、筑附という学校の教育の賜物なのか、はたまたアイドルという仕事から得たことなのかはわからないが、ただの優等生で終わらないところが、彼女の特異なところだ。2020年5月、学業のための休業から復帰してからは、優等生とはまた違った雰囲気があった。

アイドルは、行った道を戻ってくることはできない。大きな場面で、試行錯誤という過程をそう簡単には許してもらえない。その意味で、アイドルとは本当に残酷なものだ。だからこそ、考えに考え抜く力が、アイドルをやる上での彼女の武器になったのだろう。アイドルとして自分がどうあるべきかを自分の中で確立し、それを徹底的に実践する。そういうところに、並外れた知性を感じた。

個人プロデュースをそこまで熱心にしない坂道グループだからこそ、これだけセルフプロデュースできる人間が映える。インスタからブログ、トークまで、自分の見せ方や情報の出し方は徹底されている。それは同時に、隠し通したいと思ったことは、隠し通せるだけの力があるということでもある*2。だからこそ、本当の彼女を見つけ出すのは難しい。少し弱さや感情を見せるときが、ひとりの人間としての影山さんの魅力だと思うが、それでさえ、ある程度はコントロールしているように思う。それでも極稀に垣間見える本音と、クイズ番組を舐め回すように見て見つけた思考の癖をもとに、思考を巡らせる。

まず、クイズ番組に出ている彼女を見ていてよくわかることは、彼女の完璧とも思える自己分析だ。 本人が血の滲むような努力をしていることも知っているが、彼女の出るクイズ番組の共演者の強さや経験値は凄まじいもので、そういう人たちと比べてしまうと、クイズの実力は少し劣っている。でも、解説する場面、相槌や拍手、応援する姿やリアクション、そういうところに、他の人に代替されない自分の役割を見出している。 オードリーの春日が強すぎて出禁になった、なんていう噂も知っていて、クイズ番組における正しい姿を考えた結果なのかもしれない。*3

 

そもそも、「賢い人」とはどのようなものだろうか。賢さとは、おそらく基礎的な知識と、思考力や表現力によって形作られる。とはいえ、あくまでそれは賢さの土台の部分であって、ひとくちに「賢い人」といっても、それぞれ特化しているものがある。逆に言うと、どこかの賢さに特化しないと、自分の役割を見出しづらくなってしまう。

例えば、どんなことにも全力で努力する、完璧主義に近いタイプ*4、語彙や表現を追究することに力を向けるタイプ*5、興味のある一つのことを知識・思考の両面で徹底的に突き詰めようとするタイプ*6、主に自分に対して分析的思考や哲学的思考を深めようとするタイプ*7など、様々ある。*8

一般に頭がいいとされる人間は、自責思考と自己肯定感の低さがある。自分の問題点が客観的に見られるからということでもあるし、少しだけ知的な自己防衛の意味合いもあるように思う。自分に対する思考が強くなる人間は、自分を客観的に見るようになってしまう。

影山さんは特にその傾向が強いと感じる。ワールドカップで爆発的に売れたときに、売れたことそのものよりも、客観的に評価しても自分を肯定的に見られるようになる、つまり自己肯定感を高めるきっかけになりうることが、僕は何より嬉しかった。もちろん周囲のプロデュースと少しの奇跡があることは前提として、サッカーへの熱量をずっと注いできた影山さんでなければ、あの立ち回りはできるはずがない。

その意味で、影山さんが日向坂での最後の仕事として臨んだワールドカップが、本人にとっても肯定的に働いたと信じるしかない*9し、結果として少しだけ安心して送り出せるようになったと思う。*10

 

影山さんは、関係者の誰よりも深く考えることができる人間であって、自分自身の置かれている状況も客観的に理解しているはずだ。日向坂が好きで、日向坂にいたくてたまらないはずの本人が、日向坂に「迷惑をかけずに」*11いられる方法を、必死に考えた結果が卒業なのだ。悔しくないはずがない。

ここまで綴ってきた通り、「必死に考えた」という6文字は、おそらく何百時間という思考に裏打ちされた、本当に救いのない6文字である。 周りの人たちは日向坂にいることを認めてくれるに違いないが、そういうことではない。自分がいることで変わってしまう未来に、納得がいかないのだと思う。

少なくとも、かつて同じような状況に置かれたとき、僕は納得がいかなかった。

必死に自分が納得して生きていく未来を探して、何百時間考えても先が見えなくて、欅坂46の曲に少しだけ勇気をもらって、踏み出した一歩に命を救われた。思考することの限界を見て、少し嫌になったのと同時に、人生を取り戻させてくれた、当時の欅坂の32人に永遠の感謝を捧げると決めた。

影山さんが大学受験を諦めざるを得なくなって、メンバーの言葉を頼りに日向坂に戻ってきたときに味わった感覚と、そこで芽生えた日向坂に対する「好き」という感情が、少しだけわかるような気がする。

 

問題にぶち当たったとき、思考で解決することが、いわゆる「頭のいい人間」の性質であるということは否定しようがない。思考によって問題を解決することを要求されてきた、言い方を強くすれば、強制され続けてきたという部分もあるだろう。 思考を続けること、特に自身を振り返る思考を続けることは、どこまでも孤独で、そしてどこまでも救いがない。自分の一挙手一投足を振り返り、ほんの一ミリでも改善しようと思考を重ねる。100時間でも200時間でも、思考の海に潜っては、本当にわずかな成果だけを得て帰ってくる。ひたすらシミュレーションを重ねて、ああでもないこうでもないと考えて1日が終わる。

哲学的思考といえばいいだろうか、こういった思考を鍛えられた人間が、幸せを感じるのはとてつもなく困難だ。好きという感情さえ、感じることは難しい。 現に僕自身、いまだに「僕は影山さんのことが好きだった」と自信を持って言うことができない。ここまで綴ってきたのは、そういう人間の悲哀だ。 *12

仲間がいないとかそういうことではなく、本質的に自分と闘いつづけることは、途方もなく孤独だ。そういう孤独な生き方を強いられたであろう人間が、時には見せかけかもしれないが、笑顔でカメラの前に立っていて、影山さんその人にしかできない仕事をしている。あり得た姿とはまったく思わないが、自分自身の孤独な生き方を、本当に深く肯定してくれる存在だったのだと思う。

 

アイドルにこんな救われ方をする人はそうそういないだろう。共感してほしいなんていう思いが全くないというと嘘になるが、こんな奇怪な人もいるんだと笑い飛ばしてもらって構わない。それでもこうして綴るのは、救われ方の数だけ、アイドルは強くなるのだと信じているからだ。

 

そして、影山さんの今後を少しだけ考えてみる。サッカー番組でのコメンテーターとしての立ち位置を確立し、クイズ番組にも準レギュラーかのように出演し、そして女優としても評価の高い彼女のことだから、今後どんな道を選んでも生きていくことはできるのだろうと思う。

でもそういう表面的なこととは関係なく、本当に幸せに生きていてほしいし、彼女が幸せに生きていることが、僕自身が幸せに生きていく道があることの証明のように感じる。結局、僕は影山さんに感情移入しているのだろう。

だからこそ、影山さんが、自分を愛して生きていくことができるようになるその日まで、見続けていきたいと思う。

*1:詳しくは「菅井友香卒業のいま、欅坂46を語り直す」を読んでほしい。

*2:学業による休業から戻ってきて、「大学受験がうまくいかなかった」ということにしていて、テレビ番組でもその体で弄ってもらおうとしていたが、実際には原因不明の体調不良によって大学受験そのものを諦めざるをえなくなっていた。そして、そのことを、『セルフDocumentary of 日向坂46』まで秘密にしていた。

*3:手加減をしているという話ではなく、身につけるのに時間がかかるクイズの実力以上に、すぐに力を発揮できる分野を探したという意味である。東大王とQさま以外のクイズ番組では、リアクションにかなり力を入れているように見えるが、東大王の対策なども十分にしたのだろう、特に最近の東大王などでは、集中して問題に向き合う姿を見せるようになったように思う。

*4:坂道グループで当てはまる人を挙げると、休業前の影山さん

*5:長濱さんや山﨑怜奈さん

*6:池田瑛紗さん

*7:後述するが、復帰後の影山さん

*8:蛇足だが、この4人とその出身校とされる中学校や高校の組み合わせを、知らなかったとしても当てられるくらい、学校の教育による影響があるのだろうとは思う。

*9:「信じるしかない」という言葉はやや直感的だが、実際には「おそらくそうだという心証があるが、それを論理的に示せるほどの根拠はないけれども、そうでなければ重大な問題が生じるので、そうであると信じる以外に方策がない」という意味で使っている

*10:「少しだけ」というのは、影山さんにとっての自己肯定感との闘いは、そんなに簡単なものではないのだろうという不安があるからだ。

*11:本人の主観として

*12:念のため、影山優佳さんの「サッカーが好き」というのは、どちらかというと「分析対象として興味深い」という方向の「好き」であって、感情としての「好き」とはまた違うと解釈している。