the end of an era

You are free to be who you are.

アイドルはなぜ「物語」を失うのか?あるいは、劇場版『ラブライブ』はなぜ失敗作と評されざるを得なかったのか。

 タイトルがオマージュなのだが、これにタイトルだけで気づいた人はいるのだろうか。

 4年ほど前、『ラブライブ!The School Idol Movie』(以下、劇場版)の公開後、この映画に対する批評記事が話題になった。おりあそ、という方の「アイドルはなぜ魅力的なのか? あるいは、劇場版『ラブライブ!』はなぜ失敗作なのか。」という、当時の3次元アイドル論と、劇場版を比較し、劇場版の物語性のなさを指摘した記事(以下、おりあそ評)である。

当時、筆者も劇場版を見た後にこの記事を読み、納得した記憶があるのだが、2019年現在から、この記事を振り返って、アイドルの物語性について語ってみたい。

 

 1990年代前期~中期の「アイドル冬の時代」とも呼ばれた時代の終焉、つまりアイドルが再び注目されるようになった大きな契機として、『ASAYAN』という番組の「女性ロックヴォーカリストオーディション」がある。この番組で、オーディションに落選した数人が、CDを5万枚手売りするというメジャーデビュー条件を課され、その条件をクリアし、「モーニング娘。」としてメジャーデビューする過程が世間に認知されていく。

 このあたりのことや、次に述べる「AKB48」の選抜総選挙などを指して、よく「リアリティーショー」という表現がなされるが、そこで生まれるのは「やらせ」が含まれるような「物語」では人を惹きつけることはできなくて、一方で「ドキュメンタリー」と言えるほど事実をすべてありのままに映し出すものではない(あるいは明示されてはいるが介入がある)、という意味において、「ドキュメンタリー」と「物語」の間にあるようなものである。このことは現実のアイドルを語る上では重要だが、2次元アイドルを語る上では大きな意味を持ちにくいので、ひとまずおりあそ評の表現を借りて、総称的に「物語」と呼ぶことにしたい。

 ともかく、その「物語」性が、「冬の時代」以降の女性アイドルを象徴するものであると言われている。この「物語」性は、「モーニング娘。」の次の時代のアイドルとして生まれる「AKB48」には、より強く見られる。観客たった7人の劇場公演から始まったアイドルが、劇場を含めた「現場」からファンを獲得していき、国民的アイドルとなっていく過程、そしてその中でのセンター争いの過程としての個人の努力と成長の過程は、「物語」としての性質がある。その「物語」の一つとして、指原莉乃の「物語」がある。大分のハロプロオタクとして育った彼女が、自身もアイドルを志し、独特のキャラとバラエティーへの適応力を武器に、グループ内でも成長していこうとしていた矢先に、過去のスキャンダルが発覚したために「HKT48」というグループへと移籍させられるも、アイドルオタクとしての感覚を使いながらグループを導く役割を果たしていく中で、信頼を取り戻し、ファンを再獲得していき、(2013年の)総選挙1位という立ち位置まで上り詰め、AKBを代表する曲とも言えるようになった『恋するフォーチュンクッキー』のセンターとなる。この過程は、「物語」と言うに相応しいものである。同じように、2013年頃までに主要メンバーとなったメンバーたちには、こういった「物語」が確実にあった。グループとしての「物語」性に、選抜や選抜総選挙という装置によって個人の「物語」性が加わることで、「AKB48」というグループは力を強めていった。

 「AKB48」の登場(2005)からしばらくして、「ももいろクローバー」(のちに同Z)が2008年に結成される。このグループにも、紅白出場や武道館でのライブ、その後には国立でのライブという「夢」が設定・共有され、それを目指す彼女たちには、「物語」が生まれていったと言える。実際、2012年、紅白歌合戦において『行くぜっ!怪盗少女』が、既に脱退していた早見あかりの名前を含む6人の名前を言うバージョンで歌われたことで、6人で紅白の「夢」を叶える、というシーンは、この「物語」を象徴した出来事と言ってもいいだろう。

 

 さて、ここで話は指原莉乃に戻るが、彼女が推していた熊井友理奈亀井絵里に対して、どういうアイドル像を求めていたか、それをネットの海を彷徨う資料から推し量ることができなくはない が、ここでは、彼女がプロデュースしたアイドル、「=LOVE」を見ておきたい。もちろん、3次元の人間が関わればそこに「物語」のきっかけは生まれるし、それを見せようとした場面がないわけではないだろう。しかし、アイドルグループとしては、ライブパフォーマンスを中心として設計されていると言うことができる。加えて、山口百恵や「モーニング娘。」に憧れていたという乃木坂46高山一実は、「Yahoo!ニュース 特集」の取材で、理想とするアイドルの特徴として、パフォーマンスを挙げている。

 このように、「モーニング娘。」をはじめとするハロー!プロジェクトのアイドルたちは、ライブにおいてパフォーマンスを完璧に見せるというイメージを、その次の時代に続くアイドルたちから持たれていると推測することができる。

 テレビに映る「水面より上側」のみを見ている限りにおいて、「モーニング娘。」は徐々にその「物語」よりキャラ性に焦点があたるようになっていき、さらには、パフォーマンスに焦点があたっていった。そして、AKB48グループについても、その傾向がある。もちろん、例えば指原莉乃が、「HKT48」を率いる存在や別のアイドルのプロデューサーとして成長する姿を物語ということができなくはない。しかし、それをアイドルとしての「物語」と言えるかどうかは、疑問が残ると言わざるを得ない。アイドルを象徴するとも言える「物語」は、アイドルグループという「箱」が長く続けば続くほど、語られにくくなっていくのだ。

 

 ここで、おりあそ評における、「穂乃果以外の8人を」「真剣に書き分ける気がなくなっている」という評を、2019年現在見返してみると、そこには既視感がある。それは、「欅坂46」における「平手友梨奈とそれ以外の20人」という表現を見ているからだろう。たしかに、冠番組『欅って、書けない?』においては、21人それぞれのキャラや物語は映し出されてはいる。しかしながら、(少なくともシングル表題曲については)歌詞世界やパフォーマンスにおいて、平手友梨奈以外の20人を、映し出し分けることはできていない。

 「欅坂46」というアイドルグループの特殊性を、ここで2点挙げておきたい。まずひとつが、『サイレントマジョリティー』による完成された世界観のパフォーマンスでのデビューが鮮烈だったことだ。逆に言えば、売れるまでの下積みや苦労といったものをファンと共有する時間は、ほぼなかったと言ってもいいだろう。そしてもうひとつが、圧倒的なセンター・平手友梨奈の存在である。彼女の表現力は圧倒的で、『乗り遅れたバス』を除けば、センター以外でパフォーマンスをすることは今までなかったはずだ。全員選抜が維持されたことも相まって、センターや選抜入りを目指す個人の物語、というものが語られることも少ない。

 実は、アイドルに求められていた「物語」とは、主にアイドルになりたかった人がアイドルになるまでの、そしてアイドルになった人が葛藤などの中で成長し、グループの中心となっていく、あるいはグループ全体が売れていくまでの成長過程のことであって、成長した後にあるのは、日常に組み込まれた、職業アイドルとそのファンとしての生活となるのではないだろうか。そう考えると、成長した後のアイドルを、次の世代のアイドルが理想とするのは、自然なことであるように思える。

 ここで気をつけなければいけないのは、「物語」を重視するファンと、パフォーマンスを重視するファンがいるということであって、成長した後のアイドルは、そのどちらに対しても受け入れられるようにすることが必要となる。 

 

 これらの議論を経て、『ラブライブ!』に戻って、劇場版は、いったいなぜ「物語」性のない展開とならざるを得なかったのだろうか。まず、アイドル的「物語」の展開としては、「μ's」は既に成長した(ラブライブ!で優勝した)アイドルであり、その先には、指原莉乃の運営側としての成長の例を見ても、「物語」は存在しない。つまり、既に成長したアイドル「μ's」にとって、「スクールアイドルの未来」という課題とそれによって開かれるフェスティバルは、アイドル的な「物語」として重要な出来事にはなり得ない。

 しかし、これだけでは十分な説明にはならない。『ラブライブ!』は、少なくとも1期においては、女子高生9人の絆と成長を描く、いわば青春群像劇でもあったはずだからだ。では、劇場版がどうして青春群像劇たり得なかったのか。筆者の考えは、劇場版において「μ's」が既に十分なアイドルだから、だ。

 

 同じく青春群像劇とは離れていく「欅坂46」(の2期生加入まで)を例にとって話したい。「μ's」が9人で「μ's」だ、と言われることがあったように、「欅坂46」も、21人で「欅坂46」だ、とか、21人の絆だ、とかいう評を目にすることはある。絆という言葉は、現在では人と人の支え合いという意味で使われるが、本来はしがらみや呪縛という意味で使われていた言葉である。この2つの意味が同じ言葉に付与されていることは、この2つが表裏一体の関係であることに他ならない。もちろん、理想論として、支え合うことによってお互いを高める一回性の出来事の連続が起きえないわけではないだろう。しかし、それを人は絆とは呼ばないであろうし、2人の関係ではなく、9人や21人の関係となれば、連続的な関係になるだろう。

 もちろん、「μ's」や「欅坂46」に本当に絆があったかどうかを検証する術はない。しかし、『ラブライブ!』1期最終話の再結成までの過程や、「欅坂46」が完成された世界観のパフォーマンスを作っていくまでの過程は、そこに絆が生まれていると思わせるに足る要素ではある。

 先に、成長した後のアイドルは、「物語」を重視するファンにも、パフォーマンスを重視するファンにも受け入れられる必要がある、と述べた。「物語」を重視するファンにとって、一旦生まれた絆が壊れるということは、好ましいことではない。もちろん、現実世界においては、人間が怪我をしたり、事情によって活動休止や卒業をせざるを得なくなったりといったアクシデントがあるので、そう一概には言えないのだが、それでも、微修正を加えながら、絆が維持されていく、という世界観のほうが受け入れられやすい。その意味で、バラバラな個人が再結成されるまでの過程を描く、というような青春群像劇のあり方は、成長した後のアイドルには受け入れられにくい。

 そして、中心となる存在として、高坂穂乃果平手友梨奈がいることが、それをより強固にする。絆のある集団の中心となる存在に反抗することは、現実としては起こりえないわけではないが、「物語」としては受け入れられにくい。だからこそ、「欅坂46」の卒業が、AKBグループや「乃木坂46」のそれと異なって、華やかなものにはならないのではないだろうか。

 

 ここまでで、劇場版が「μ's」の物語として作られることは困難であったと言える。では、高坂穂乃果ひとりの物語としてはどうだろうか。もし、ニューヨークで高坂穂乃果が遭遇する謎の女性シンガーが「未来の穂乃果」であるという説を受け入れるとするならば、劇場版のストーリーの共通点は、「未来」への志向である。しかし、この説を受け入れるということは同時に、穂乃果は将来シンガーになるということを認めるということでもある。このとき、ニューヨークで展開された高坂穂乃果の未来を暗示するストーリーと、スクールアイドルのフェスティバルを開きスクールアイドルの未来を予感させるストーリーは、その先にある未来においても交差することはないであろう。卒業式の後、という条件において、ニューヨークという異国の地でのライブと、スクールアイドルの未来のためのフェスティバルという題材を選ぶことは、ごく自然であるように感じる。

 このとき、2つのストーリーの未来が交差するような物語を見ることはできたのだろうか。ここでまた、話を現実世界のアイドルに戻したい。「HKT48」の指原莉乃は、AKBグループの顔とも言える存在となった後も、「HKT48」を率いる存在や別のアイドルのプロデューサーとして成長していく。これは、アイドルの「物語」ではないと先に述べたが、一方で確かに物語ではある。そして、指原莉乃に率いられる側のアイドルには、実際には先に述べたように「物語」はなくなっているのだが、秋元康に率いられた「AKB48」にも、前田敦子大島優子高橋みなみなどの初期メンバーに率いられた指原莉乃にも、アイドルとしての「物語」があったことを考えれば、「物語」性のあるストーリーを想定することはできる。ここに、成長した後のアイドルの物語と、成長過程にあるアイドルの「物語」の交差を見ることができる。しかし、他の元メンバーとアイドルには、共演する機会が稀にあるとはいえ、元メンバーがアイドルに触発されることはまずないし、物語の交差があると言うことはできない。

 翻って、『ラブライブ!』の世界観には、アフターストーリーである『ラブライブ!サンシャイン!!』において、憧れの存在として「μ's」が描かれてはいるが、直接的なプロデュースや関係性はない。「μ's」も、スクールアイドルであり、9人でこそ、という理由から、箱を維持して継続していくという選択肢を選ばなかった。この時点で、劇場版の2つのストーリーの交差を想像することは、非常に難しい。

 

 結局、劇場版の脚本に瑕疵があるというよりも、2期の続きとしての劇場版の形としては、「μ's」が9人の絆によって結ばれ成長したアイドルであったがゆえに、おりあそ評のように評されざるを得なかったのではないだろうか。そして、アイドルは、「物語」を失ってからにも、新たな輝きがあるのかもしれない。

 

(文中敬称略)

「ガラス」を「割る」行為に見る音楽と社会

 タイトルの時点で終着点が見えている気がするが、こんな話もしてみたい。

 日本のポップやロックにおいて、「ガラス」を「割る」という歌詞には、明らかな原点がある。それはもちろん、尾崎豊の『卒業』(1985)だ。(『卒業』の歌詞は「窓ガラス壊して」であるのだが、なぜかそれ以降では「割る」ことになっている。)

 この曲に対する評価は様々なされているが、少なくとも、時代の潮流としては、学校が締め付けの場として、そして大人になるために通らなければいけない過程として、2019年現在以上に強力に機能していたがゆえに、当時の若者たちに受け入れられていったものだろう。しかしそれだけでなく、尾崎豊は、歌詞世界の中で、学校から卒業したとしても、何かが「俺」を縛り付ける、ということを示している。

 そして、そのアンサーソングなのか、アフターストーリーなのか、はたまた全く別の考えなのかはわからないが、多くの曲がこの「ガラス」を「割る」行為を描写している。その中で、売れたと言える曲をいくつか取り上げておきたい。

 

 まず、そのひとつが、とんねるずの『一番偉い人へ』(1992)だ。この曲は、明らかに尾崎豊の『卒業』を意識して作られている歌であることはほぼ確実と言っていいだろう。その根拠は、次の歌詞にある。

卒業することで終わった 大人たちを非難すること

社会とは 窓ガラス割らないルール

しかし、これを言葉の通り尾崎豊への批判やアンサーとして受け取るのはいささか早計だと思う。他の部分の歌詞では、大人たちを非難することをやめ、「大人」になっていくことを自覚しながらも、何をするべきか、そしてアイデンティティーを求めて叫ぶ姿を描写している。それは、尾崎豊の『卒業』のアフターストーリーとして、学校からの束縛を受けなくなった「大人」として受ける束縛や苦悩そのものである。そして、尾崎豊と同じように「愛」に救いを求める歌詞も興味深い。 

 

 次に、時代は飛んでYUIの『My Generation』(2007)を取り上げたい。この曲は16の時、本人が歌手になるため高校を中退したときを振り返って歌った曲である。この曲の歌詞には、次のようにある。

窓ガラス割るような 気持ちとはちょっと違ってたんだ

はじめから自由よ

尾崎豊の『卒業』から22年経って、学校というものを取り巻く社会は変わった。正確には、高校を取り巻く社会の見方は変わった。高校進学率の増加・大学進学率の増加から、高卒というステータスの価値が失われつつあったということ、特に芸能界においては、その活動時期の低年齢化が進むにつれて、高卒の価値が失われていたということによって、高校というものがたとえ締め付けの場であったとしても、そこから逃げ出す自由が保証されるようになった。そして、逆に、学校内での非行を社会化する動きが見られるようにもなっていった。その点で、「窓ガラス」を「割る」ような非行による自己表現ではなく、社会において「窓ガラスを割らない」ような自己表現をすることが求められるようになっていった。そういった2000年代の象徴として(もしかしたら尾崎豊が勝ち取ったものなのかもしれないが)、「はじめから」の「自由」がある。

 しかし、『My Generation』には、そうやって学校を中退していったにもかかわらず、「夢を信じきれない」自己の弱さとの闘いが描かれている。これは、夢を追う、あるいはやりたいことをやる、という行為の孤独さを象徴しているように思う。これが所以かはわからないが、YUIは一部メディアで平成の尾崎豊と呼ばれることがあった。

 

 最後に、お察しかとは思うが、欅坂46の『ガラスを割れ!』(2018)を語っておこう。この曲において、「ガラス」は、自由を縛り付けるもの、邪魔するものとして描かれており、その「ガラス」を割って、がむしゃらにやりたいことをやってみろ、ということを示している。尾崎豊『卒業』の「窓ガラス」が明らかに実物を想定しているのに対して、実際に自由を縛り付ける「ガラス」というものは存在しないが、雑誌かどこかのインタビューで(映画『響 -HIBIKI-』の)月川監督が言っていたように、作詞者・秋元康がセンター・平手友梨奈尾崎豊を重ねているのだとすれば、この「ガラス」もまた抽象的には尾崎豊の「窓ガラス」と同じようなものである。

 しかし、2000年代からの流れと同じように、平手友梨奈もまた、学校にだけ縛り付けられている人間ではない。むしろ、平手友梨奈を、あるいは若者を縛り付けているのは、大人たちや社会、もっと広く言えば周囲の人間である。そこには、尾崎豊の時代から考えれば、明らかに自由がありながらも、生きづらさという明確にできない不自由さが存在する。その不自由さの象徴として、ここでは「ガラス」が使われている。

 

 『一番偉い人へ』と『ガラスを割れ!』は、同じ秋元康という作詞者による詞ではあるが、その曲が作られた時代背景は明らかに異なる。何をするべきかを問う『一番偉い人へ』は、何をするべきかを悩む個人の解決策を見つけ、導くのは(学校における教師に変わるような)「偉い人」である、という価値観が内在している。1980年代から1990年代の学校や社会は、個人のやりたいことよりも、学校や社会がその適性を見極めて、それに従って生きていくことを求めていたように思う。それに対する反抗として、尾崎豊や、アイデンティティーを求める『一番偉い人へ』が生まれていたのだろう。

 それに対して、やりたいことをやれと主張する『ガラスを割れ!』は、やりたいことは個人の中にあって、それを縛り付けるのが周囲や自分だ、という価値観がある。2010年代の学校や社会は、個人のやりたいことと、学校や社会の見極めた適性のマッチングによって、生き方を決められているように思う。そういった、やりたいことを尊重するキャリア論がある一方で、やりたいことが完全に達成されることは少ない。そして、その自由に対する責任は、たとえそれを受け入れられない学校や社会に原因があったとしても、個人が負うものである。そういった意味での自由の中にある縛り付けという存在が、この曲の背景にはある。

 しかし、やりたいことが明確にある強い個人、というものは、2010年代においてもそう多くはない、ということには気をつけなければならない。平手友梨奈にやりたいことが明確にあるのかどうかはわからないが、やりたくないことは明確にある、という点で、「自分らしさ」像を持っている強い個人である。二面性を歌った『アンビバレント』以降は異なった個人像があるかもしれないが、少なくとも『ガラスを割れ!』においては、一貫して強い個人が描かれている。

 そして、『ガラスを割れ!』にある「愛」を否定し「孤独」を肯定する歌詞にも気をつけなければならない。やりたいことをやる、という行為の孤独さは、ここにも現れている。

 (初期の)YUIも、(初期の)平手友梨奈も、愛すらない孤独さの中で夢や自分を追いかけたという意味で、尾崎とはまた違う、平成のカリスマと言える存在であったのかもしれない。

(文中敬称略)

僕はアイドルが嫌いだ

 自己紹介がてら、タイトルについて語ってみたい。

 前回のブログでアイドルの卒業について触れておきながら、そして、これからもアイドルに関する記事を書く気がしているが、筆者はアイドルが嫌いだ。正確には、アイドルを見ている瞬間に、多幸感と苦しさが混ざったような感情を覚える自分が嫌いになってしまった。

 その経緯を語るには、筆者が初めて推した「アイドル」の話をしなければならないが、このアイドルはかなり特殊だ。アイドルの定義に「アイドルであるという自認」が含まれるのだとしたら、その「アイドル」はアイドルではない。しかしそこにはファンというものが存在していたし、そのひたむきに頑張る姿やステージ・イベントで見せる笑顔は、我々ファンに幸せを与えてくれるものだった。一方で、そのアイドルの、ひとりの人間としての人生が、制限されたものになっていく過程を目の当たりにすることもあった。その「アイドル」本人は、3年という決められた活動期間のあるアイドルだったこともあり、卒業後の人生を、また別の人生として歩み始めていることを知っているから、それ自体でアイドルを推せなくなるほどの苦しさを覚えていたわけではない。

 それから1年くらい後だろうか、筆者が、「キャリアの選択肢は年齢を取るたび、行動を取るたびに狭められる」という価値観を持つようになった頃から、アイドルに対する苦しさを覚えるようになっていったように思う。アイドルの輝きは、何かの代償でしかないのかもしれない、と思ってしまうと、そこに多幸感と同時に苦しさが襲ってくる。もちろん、アイドルをやったことを後悔したと語るアイドルが多いわけではないが、それにはアイドルの発言としてのタブー性と、過去を自己肯定的に物語る人間の傾向があるから、という面もある。

 

 それでも一人だけ、推してもいいかな、と思ったアイドルがいた。それが、欅坂46の長濱ねるだった。彼女の存在自体はテレビ出演(いわゆる「外仕事」というもの)で知ってはいたが、彼女のことを調べるにつれ、惹かれていくようになった。今思えば、それは、彼女の頑張る姿や笑顔、優しさが、かつて推していた「アイドル」に似ていたからかもしれない。そういう事情があるからか、いつの間にかアイドルを見たときに感じる苦しさというものを飛び越えていた。

 しかし、2019年3月7日、「お知らせ、335」と題したブログで、彼女は卒業を発表する。そのブログを読んだ後、筆者は多幸感と苦しさの狭間に連れ戻されたような感覚を覚えた。それには、3年半という短い期間であったこと、そして、卒業後の方向性の不明確さが影響しているようには思う。ファンの心理として、今後の幸せを祈るのは当然のことではあるが、その幸せがどこにあるのかを想像するのは、今までのアイドル以上に難しいように思う。たとえば、前回のブログで指原莉乃の卒業について取り上げたが、その(客観的な)幸せは、卒業の翌々日、NHK改元特番に出た瞬間から、アイドルをやっていたことによる正の影響というものを見て取ることができることからも、保証されていくものなのだろう。

 しかしながら、特に2010年代になってから、アイドルはより厳しい世界になっている。その中で、次の人生を幸せに生きていける人々が多くはなくなっている。欅坂46というグループが特殊なアイドルグループであるとはいえ、写真集が20万部売れ、グループで1,2を争う人気メンバーになった彼女が、どう幸せを掴んでいくかということにでさえ、不安定な要素が多い。

 

 そういう意味で、多幸感と苦しさの狭間にまた戻っていき、そこから苦しさを飛び越える活性化エネルギーは都度増していくような気がしてならない。それでも、アイドルには人を惹きつける何かがあるし、それに惹きつけられるように、筆者はアイドルを見てしまう。冒頭で、アイドルが嫌いだ、と言ったが、「好き」の対義語としての「嫌い」ではなく、「好き」の近くにある「嫌い」に嵌っているような気がする。

指原莉乃の卒業とテレビ史の「時代」の変化

 2019年4月28日、HKT48指原莉乃卒業コンサートが行われた。その卒業のアイドル史的意味を語るのは別の機会にすることにして、それとは別に、実感したことがあるので、語っておきたい。

 指原莉乃のアイドルとしての最後は、たぶん大方の予想通りであろう。「これからもHKT48を応援してくれるかな?」であった。これに対してファンが「いいとも!」と応える形で幕を閉じたようだ。

 そして、その2日前、4月26日の「ミュージックステーション」が、アイドル指原莉乃の最後の音楽番組出演であった。そこでも、「私だってアイドル!」「恋するフォーチュンクッキー」の披露の後に、「これからもAKB応援してくれるかな?」「いいとも!」のC&Rがなされている。それも、このC&Rを生み出したとも言えるタモリの前で、である。

 

 今となっては、このC&Rは指原莉乃とそのファンのもの、と言ってもいいのかもしれないが、その始まりは指原莉乃が1位をとった2013年AKB48選抜総選挙からである。そのとき、本人が「タモリさんとの約束」という理由付けをしていることから考えても、タモリへのお礼の意味があった。そう、「笑っていいとも!」という番組と、その司会であるタモリ森田一義)は、指原莉乃がバラエティーにおいて名をなし、HKT48への移籍を経験しながらも、その求心力と認知度を高め、総選挙1位に上り詰めるまでの支えとなったものだった。

 しかしながら、その「笑っていいとも!」という番組は、2014年3月31日に終わりを迎えた。その日の夜行われたグランドフィナーレに、テレビ史における一つの時代の終わりを感じた人も多かったかもしれない。それに続いていくかのように、2016年12月31日にはSMAPが解散し、2018年3月には「めちゃイケ」と「みなおか」が終わっていった。

 総選挙以降も、指原莉乃はたびたびこのC&Rを使うことがあった。それは、タモリという人間がお昼の顔として存在していたことを思い起こさせるものでもあった。

 

 そのC&Rを卒業直前にタモリの前で行う、ということは、アイドル指原莉乃の、タモリという人間へのお礼の一つであったのかもしれない。そして、その卒業によって、このC&Rが見られなくなるということは、「いいとも!」という番組がこの世に存在していたこと、そして多くのタレントを育てていったことが、いつか忘れ去られていく、その始まりのように思えてならない。

 そして、タモリの今の活動状況を考えれば、テレビ上では、タモリ指原莉乃の共演が実現することは、もうないかもしれない。加えて言えば、「いいとも!」レギュラーとして共演したタレント同士が共演することでさえ、その大物化が進んだ今ではあまりない。

 

 そういえば、4月26日のミュージックステーションで、槇原敬之の「世界に一つだけの花」の披露前のトークの際、タモリの口から、「SMAP」という単語が発せられた。もちろん、その場にSMAP本人を呼ぶことができないために槇原敬之が呼ばれたことは明白であったのだが、その単語によって、さらにそのSMAPが存在していたことが、明らかなものとして共有されていったと言ってもいいだろう。このことも、「いいとも!」を象徴する、あるいはタモリSMAPの関係を象徴する一つの出来事と言ってもいいだろう。

 

 指原莉乃の卒業日を決めたのは、他でもない指原本人であって、この2つの出来事が同じ番組の中で起きたことを偶然だと言い切ることはできない。しかし、そこには、2014年3月31日以降も続いていた「いいとも!」の名残が、消え去っていく間際の最後の光を発して、一つの時代が終わっていったことを意味しているのかもしれない。

 

 さて、その「一つの時代」とは何だろうか。あるいは、「いいとも!」が終わったことで、テレビは何が変わったのか。それは、「いいとも!」の後に始まった「バイキング」との関係の中に見ることができる。もちろん、「バイキング」のターゲットがF2,F3層であることは言うまでもないのかもしれないが、それ以上に、「バイキング」はワイドショーであり、時間や人間のつながりの中に真偽のわからない意味を見出すことに総力を捧げている。これに対して「いいとも!」は、正直言ってよくわからない番組であった。でも、そのわからなさが、「いいとも!」の意味なのかもしれない。例えばかつて、タモリ赤塚不二夫への弔辞の中でこのように述べている。

あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を絶ちはなたれて、その時その場が異様に明るく感じられます。

そう、「いいとも!」の1時間は、人間にとって、重苦しい意味の世界や時間の前後関係から解放される時間だったのかもしれない。そして、タモリの芸にもそれは色濃く現れており、文脈のない笑いがタモリの芸の中心であった。赤塚不二夫タモリ以外に、そういった矜持を持つ人間は今の芸能界にはおそらくいないだろう。その「いいとも!」が名実ともに終わりを迎える、ということは、人間は、時間などの文脈によって意味づけられた世界から解放される瞬間を失う、ということでもある。

 

 確かに、世代は変わっていく。それは芸能史においては、人の老化とともに起こるものでもある。指原莉乃卒業コンサートにサプライズで出演したのは、タモリではなく松本人志であり、そこに彼女が懐柔してきた「大物」と呼ばれる人物の世代の変化を見て取ることはできる。しかし、松本人志が「緊張と緩和」を笑いの本質としたように、笑いの場でさえ文脈によって意味づけられていく世界へと向かっていくことは、世代より大きな「時代」の変化と言ってもいいだろう。

 

 もちろん、文脈から切り離された時間、というものが必ずしも「いいとも!」のみに存在していたわけではない。例えば「水戸黄門」だってそうだったかもしれないが、これも再放送を含めほとんど地上波で放映されることはなくなった。子どもたちはそう見ていないだろうが、長寿アニメとしての「ちびまる子ちゃん」「サザエさん」「クレヨンしんちゃん」でさえ、最近は時代を表すアニメとして扱われることが多くなり、大人はどうしてもそういう目線でこれらのアニメを見てしまう。まだ現実と切り離された世界観として残っているのは「ドラえもん」くらいだろうか。下手をすれば、これももう怪しいかもしれない。

 

 芸能史における「前の」時代の終わりとは、いつだったのだろうか。今までの検討から、筆者の答えは一つだ。2014年3月31日、「笑っていいとも!グランドフィナーレ」がその契機であり、2016年末のSMAP解散、2018年3月の「めちゃイケ」、「みなおか」の終了を経て、2019年4月26日の「Mステ」、28日の指原莉乃卒コンをもって、「文脈に支配されない時代」は終わりを迎えた。

 

 一方で、SMAPから始まり、AKB48の象徴とも言われるようになった指原莉乃に至るまで、「いいとも!」に出演するアイドル自体は文脈に支配されていた。そういう意味で、「文脈に支配されない時代」とは、赤塚不二夫タモリたちの世代が作り出した、いわば「最後の楽園」だったのかもしれない。

(文中敬称略)

「時代の終わり」に

 「時代の終わり」、平成生まれの筆者は、そういうものを実感したことがほとんどない。でも、なぜだか平成が終わる今、文章を書き残したいという欲がある。

 それは、平成史を扱うテレビが多いせいかもしれないし、本当に今この瞬間に何かの「時代の終わり」があるからかもしれない。「時代の終わり」というものは、その時代を生きる者にとってはいつも突然で実感しにくいものだ。

 それでも、今の出来事について何か書き残しておくことで、いつかその事実を再解釈する日が来たとき、その瞬間を生きた自分がどう捉えていたのか、比較して見てみるのも面白いような気がしたから、ブログを始めてみる。